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今日は、嬉しいニュースが各紙を飾っていた。
「婚外子国籍取得訴訟」で、最高裁が「婚姻条件の国籍法は憲法違反」であるとの判断を下したという記事。
つまり、結婚していない日本人の父と外国籍(今回の場合はフィリピン人)の母の間に生まれた子どもは、出生後に両親が婚姻をしなければ日本国籍を取得できないとする国籍法の規定は憲法違反である、という最高裁大法廷の判断が、6月4日に示された。国籍が違う両親のいわゆる「婚外子」の日本国籍取得についての、最高裁の初めての判断でした。
これによって、今回の訴訟では、10人の子どもたち(日本人父とフィリピン人母の間の子)が、日本国籍を得られることとなった。いつフィリピンに送還されるかもしれない、という不安から解放されることとなった。
日本政府のこれまでの見解は、明確に否定されたのです。
<大法廷は(中略)「国籍取得は基本的人権の保障を受ける上で、重大な意味を持ち、不利益は見過ごせない」と述べた>(毎日新聞6月5日)
また、同紙の解説は、こう書いている。
<(前略)事実婚や婚外子の増加で婚外子差別の見直しを求める声が高まり、住民票や戸籍では婚外子を区別する記載が撤廃された。
一方で、国籍法の差別規定は維持されてきた。日本人父・外国人母の婚外子で国籍が認められない子どもたちは国内に数万人、海外にも相当数いるとの試算もある。国籍がなければ参政権を得られず、就職や日本在留でも制限を受ける。同法の規定が違憲との学説が有力になっていた。(後略)>
これまで、どうしても行政(権力)寄りの判決が多かった裁判所が、やっと本来の役割を果たしてくれたのです。というより、世の流れと日本国憲法の幸せな合致を、ようやく認めざるをえなくなったということかもしれない。
新聞に載っていた子どもたちの、ほんとうに嬉しそうな笑顔の写真が、心を温めてくれた。特に、朝日新聞(6月5日)の一面の、親子たちが満面の笑顔で弾むように裁判所から飛び出してくる写真に、私は今年度最高報道写真賞を差し上げたい。
ひとつひとつ詳しく調べていくと、こんな憲法違反の法律の例は、まだたくさんあるんだろうなあ。
だからこそ、日本国憲法が、いまになって輝きを増すことになる。
<日本国憲法第14条1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的、または社会的関において、差別されない。>
六月六日(金) はれ
梅雨の合間に、ちょっと美術館を覗いてきました。
新宿駅西口にほど近い東郷青児美術館で開催されている「モーリス・ド・ブラマンク展」です。
この美術館、高層ビルの42階にある。高速エレベーターに乗ると、飛行機の上昇時と同じように、耳がピーンッと詰まる。まあ、それほど高いところにある美術館です。
さすが42階、美術館へのエントランスから、東京中が見渡せる。ああ、東京って、こんなにも高層ビルが多かったんだ、と絵を見る前に、なんだか圧倒されていた。
ほんとうにいつの間に、これほどのビルが、こうも無秩序に建ち並んだのだろう。東京という巨大都市の恐るべき変貌。地上で生きる普通の人間には気づかない、上空からの眺め。
私は、少し萎えていた…。
でも、ブラマンクの絵は、そんな異常増殖する都市の中空にいるということを忘れさせる迫力に満ちていた。
81点もの絵。(実は、リトグラフは12点の連作だったから、総数は92点ということになる)
画家後期の、空(雲)の描写が凄い。
それはうねり、叫び、飛ぶ。いまにも地上に襲いかかりそうな雲が、暗い色調の中にのたうっている。
とくに、「雷雨の日の収穫」と「積み藁」(ともに1950年)と題された2枚の絵は、ゴッホの影響をさらに激しく表現したように思える。あのゴッホの麦畑の絵の上に、ブラマンクは咆哮する空を投げつけた。
しばらく、その絵の前で…。
ブラマンクがフォービズム(野獣主義→この名称も凄い)の代表格であったことが、実感される。
とまあ、少し興奮して空から地上へ戻ったのです。
小田急デパート前の広場を挟んで向かい側に、スターバックスがあった。私はほとんど喫茶店なんかには入らないけれど、ここでちょっと熱を冷ましていこう。
窓際から外を見ていた。
ここもまた、不思議な空間だった。空がない。そう、新宿の空は、ビルの隙間の小さな四角形でしかなかった。
あのブラマンクが描いた暗黒の空と、新宿の四角い空。その対比に、目眩いがした。崩れるビルの幻覚を見た気がした。行き交う人たちが、のっぺりとしたCGのように見えた。
私はさっきまで、ブラマンクの絵の暗い空の前で息をつめていた。そしていま、この喫茶店の片隅で、ガラガラと崩れ落ちるビルの幻影を見ている。
東京が、2016年のオリンピックの最終候補地に選ばれたという。このビル群の谷間に、さらにコンクリートの建造物が積み重ねられていく。数千億円が、そのために使われる。
それは、巨大地震で崩壊する都市の、最後の虚しい祝祭とはならないだろうか。
散歩していると、思いがけない幸運に出会うことがあります。
私が住んでいる街は、とてもラグビーが盛んです。ふたつの強豪社会人チームがあるからです。どちらも、トップリーグで優勝を争うほどの名門です。
さて本日は、散歩の途中で、サントリーサンゴリアスの練習場のそばを通りかかりました。いつもは静かな練習場から歓声が響いてきます。フェンス越しに覗くと、あれ、試合してますよ。2百人ほどの観客も、芝生に座り込んで楽しんでいます。
早速、私もクラブハウスを抜けて練習場へ。
なんと、サントリーが近鉄ライナーズを迎えての練習試合。これが無料で、しかも目の前ほんの2,3メートルのところで観戦できる。ラッキーを絵に描いたような幸運です。
私の大好きな有名選手たちが、すぐ目の前を疾駆する。ドスドスッ!っと、肉が肉にぶち当たる鈍い音。でっかい男たちの壮烈な闘い。汗が飛び散るのまで、はっきりと見えます。ファンとしては、夢のような瞬間です。
私も競技場へはよく観戦に行きますが、どうしたってピッチは観客席からは遠い。飛び散る汗は、さすがに見えません。それがここでは、しぶく汗がはっきりと見えたっ!
梅雨の晴れ間、浮世の憂さを忘れた2時間でした。
ちなみに、結果は、42対26で、サンゴリアスの勝利。でも、ライナーズのナンバー8タウファ統悦選手の突進は、凄かったなあ。
ありがとう、両チームのみなさん。
自衛隊をめぐる動きが、怪しい。
近々、アフリカのスーダンにPKO司令部要員として、自衛官が数名、派遣されるという。
スーダンの首都ハルツームにある国連スーダン派遣団(UNMIS)の司令部への派遣ということだ。防衛省と外務省が協議して、現地調査をした上で、7月以降の派遣となるらしい。
実はこれ、外務省が積極的だったのに対し、防衛省は現地の治安情勢を考慮して、派遣には消極的だったといわれている。防衛省が二の足を踏むほどに、現地の治安状況は良くないのだ。しかし、外務省では、「アフリカでの日本の存在感を示すためには、どうしても自衛隊派遣が必要」との意見が強いのだという。
これが数名の司令部要員派遣のうちは、それほど問題にはならないだろう。けれど、「たった数名では、国際的評価につながらない。国益のためにも陸自部隊の派遣を」と、例によって声高に自衛隊派兵を迫る自民党幹部や政府高官も出始めている。
まず「派兵」ありき、である。とにかく実績を重ねることによって、自衛隊海外派遣の恒久法制定の足がかりにしたいのだろう。
政治家や官僚にとって、自衛隊員の命とは何か?
そんな折、今度は情勢が緊迫化しているアフガニスタンへの、陸上自衛隊部隊の派遣が検討されているという。
アフガン情勢については、当『マガジン9条(4月30日アップ)』の「この人に聞きたい・中村哲さん」や『通販生活(2008年夏号)』の「中村哲さんが語る―インド洋での自衛隊の給油活動再開でいま、私が思うこと」という最近の記事などを読んでもらえれば、その危険性がよく分かる。
実際にアフガン現地で、いまも用水路建設に奮闘している中村さんたち「ペシャワール会」スタッフが肌で感じていることと、ほとんど現地に入ることもできない日本の役人たちの報告の、いったいどちらが正しいか。
<(前略)陸自の派遣は現地の治安情勢や派遣根拠となる法律がないことから本格的に検討されることはなかった。ここに来て政府が調査団派遣に動き出したのは、7月のサミットが念頭にあると見られる。>(朝日新聞6月6日)
ここにもまた、政治の道具として自衛隊を使おうという思惑が見え隠れしている。
政府はISAF(国際治安支援部隊)やPRT(地域復興支援チーム)への自衛隊の参加を視野に入れているらしいが、それらの活動は、「軍民一体型」の地域復興支援モデルなのである。
中村さんの証言によれば、次のような現実がある。
<アフガンの人たちは、この活動をむしろ敵視しているんです。PRT自体がアメリカ主導の軍の指揮下にあるわけですから、米軍の軍事活動の一環として見ているのです。
PRTは、例えば旧日本軍が、占領した国や地域の住民にその政策や保護施策を理解させて、人心の安定を図った「宣撫(せんぶ)工作」に近いものです。>(前出『通販生活』)
中村さんは、ほんとうに怒っているようだ。現在帰国中の中村さんは、6月7日の記者会見で、さらに次のように述べている。
<(中村哲医師は)政府が検討を始めた陸上自衛隊のアフガン派遣に反対した。派遣した場合「日本人が武装勢力の攻撃対象となるのは確実で、会員の安全確保が難しくなる」として、現地の邦人スタッフを全員帰国させ、活動を一時停止せざるを得ないと述べた。
(中略)中村医師は「アフガンに非戦闘地域はほとんどなく、仮にあっても軍が進駐すれば戦闘地域化する」と治安情勢を説明。その上で「深刻な食糧難や相次ぐ誤爆で政府や外国軍への反発が強まっており、制服を着た自衛隊が行けば『敵(米軍)の味方は敵』と攻撃を受けるだろう。これまでの民生支援が築いた良好な対日感情が崩れる可能性が高く、我々の活動も危険にさらされる」と批判した。>(毎日新聞6月8日)
これに対し、福田首相や町村官房長官は、あの小泉元首相と同じように「自衛隊を派遣するところは非戦闘地域」などというふざけた論法を持ち出すつもりだろうか。
中村さんたちの「ペシャワール会」は現在、アフガンの大干ばつへの対策事業として、日本政府の力を借りずに独力で用水路建設を行っている。それによって数十万人のアフガン人が救われているという。そんな中村さんたちの懸命の努力に、日本政府は水を差す。
前出の『通販生活』で、中村さんは、「援けてくれとは言わないけれど、せめて邪魔をしないでほしいというのが、日本政府や各国軍隊に対する本音です。」と述べている。
民間の努力の邪魔をして、親日感情をぶち壊す。それが政府与党の言う“国益”なのか。
ほんとうに、こんな情けない政府はない。
それにしても、なんという惨劇。一瞬で7人もの人の命を奪う非情。唇を震わせて立ちすくむ人たち。言葉の皮肉としか思えない日曜日の歩行者“天国”。 むろん、犯人を弁護するつもりなどない。けれど、この男の携帯に残されたコトバの数々が、切ない。
あ、住所不定になったのか/ますます絶望的だ
人が足りないから来いと電話が来る/俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから/誰が行くかよ
別の派遣でどっかの工場に行ったって、半年もすればまたこうなるのは明らか
仕事に行けっていうなら行ってやる/流れてくる商品全部破壊してやる
自動車工場で派遣として働き、ある日、もう契約はしない、と告げられる。
またどこか別の工場へ、派遣として働きに行く。その繰り返し。
どうすれば、ここから、もう少し安定した場所へ行けるのか。それが分からない。その手段が見つからない。
いつかテレビの討論番組で、自民党の議員が偉そうに「もっと仕事のスキルを身につけるべきだ。 そうすれば正社員への道も開ける。その努力が足りないのではないか」などと話していた。
スキルを身につける時間とカネなど、どこにあるもんか。
誰に向けていいのか分からない殺意が芽生える。
非正規社員が激増し、格差が拡大する。
それを是正しようともせず、利益確保に走る大企業。
「貧困」という言葉が流行語になってしまう世の中。
こんな事件、これで終わるとは思えない。
(鈴木 耕)
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