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週間つぶやき日記

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 コラム「デスク日誌」が終わってから、「やはり、『マガジン9条』なりの時事問題についてのアプローチが必要じゃないか」というご意見が、編集部にかなり届いたそうです。
 そこでスタッフと相談して、今回から、新しい装いで「週間つぶやき日記」を始めることにしました。
 なるべく、毎日の普通の生活の中からテーマを探して行こうと思います。その日その日に見つけた、疑問に思うことや不思議に感じること、感動したり驚いたことなどを、日記風に書いていくつもりです。でも、「つぶやき」ですから、あまり大声にはならないように気をつけたいと思っています。
 なるべく「時事問題」にアプローチしようとは思いますが、果たしてそううまくいくかどうか、やや心配な日記の始まりです。

 書き手は、断りがない限り、鈴木耕が担当します。時折は、俺にも言わせろ、というスタッフが乱入するかもしれません。
いずれにしろ、個人的な想いが主になりますから、みなさんのご意見とは違う場面も出てくると思います。ご批判やご感想を、どしどしお寄せください。
 多分、1年間ほどの連載の予定です。しばらくおつき合いください。



五月三十一日(土)

中村氏の実践こそが9条だ

 アフガニスタンで、用水路建設に苦闘している医師の中村哲さんの講演会が、5月31日に東京で行われました。
 先日、「マガジン9条」でのインタビューにおつき合いいただいたご縁で、私たちも講演会にお邪魔しましたが、その前に中村さんとランチをご一緒させていただきました。
 小さな体と小さな声。この方のどこに、あんな凄まじいほどの実行力とバイタリティーが潜んでいるのだろうと、お会いするたびに不思議に思うのです。

 「とにかく目の前で苦しんでいる人たちを救いたい。それだけですよ。特別な使命感なんかないんです」と、あくまで控えめに話す言葉が、ジワリと心に沁みてきます。まるで、干ばつで乾ききったアフガニスタンの大地を潤す、中村さんたちが造った用水路の水のように。
 そして、私たちの国が持つ「日本国憲法第9条」の、ほんとうの意味での実践が、中村さんたちの手で行われていることに、感動するのです。ここに、9条が輝いています。
<一切の武器と無縁であり、ひたすらに人間の命に固執する。まず、生命を救うための行動。それだけを目的とする。政治にも宗教にも、一切関わらない。それが、真の意味での国際貢献ではないか。そして、その活動の支えとなっているものこそ、日本国憲法第9条である>
 中村さんの確信は、少しも揺らがないのです。

 講演会が終わったとき、聴衆の中年女性がとなりの人に洩らした言葉が印象的でした。
「どうしてあんなにいい人がいるんでしょう」
 私は、中村さんに「ノーベル平和賞」をあげるべきじゃないかと、真剣に思いました。むろん、スタッフ一同大賛成でした。あんな「平和の巨人」は、そうはいません。

「マガジン9条」ゴールデンウィーク合併号に掲載された「中村哲さんインタビュー」を、ぜひもう一度お読みください。



六月一日(日)

蛙鳴く田んぼの上の 青い風

 私の大好きな「やまねこムラ」の村長さんからの便りによれば、ムラでは、ようやく田植えが終わったようです。私は一度、やまねこムラを訪ねたことがありますが、小高い山の中腹にある田んぼでしたね。
 たった1人での農作業は、とても厳しいものだと思いますが、それでも村長さんの便りからは、さわやかな新緑の匂いを含んだ風が吹いてくるような感じがします。
近いうちに、またムラを訪ねてみたいと思っています。村長さん、そのときには、よろしくね。

 もちろん、「やまねこムラ」と比較なんかできませんが、私も、ちょっとだけ田植えに参加してきました。
 東京のはずれ、八王子の奥の山あいに、10枚ほどの田んぼがあります。ここを里山農業の実践地として、課外授業(?)を続けているある大学教授がおります。自分のゼミの学生や卒業生、知り合いのテレビ関係者や出版編集者なども参加する、なんとものどかな課外授業です。
 むろん、これに参加しても単位などはもらえませんが、学生たちは、嬉々として農作業に加わってきます。
 まず、肥料やりや代掻きから始まって、苗床作り、田植え、草取り、稲刈り、はさば作り、脱穀、餅つきと、米作りの一連の流れを、季節ごとに体験していくわけです。私は、3年ほど前から、ここに参加させてもらっています。
 半分はレクリエーション気分ですから、作業が終わった後の「バーベキュー」が目的の、不届きな参加者もいるようですが、まあ、そこは大目に見てあげましょう。

 素人ばかりですから、そうすんなりとはいきません。人力での田植え、最初は苗の量もバラバラだし、引いた紐通りに真っ直ぐにはならず、苗が曲がって植えられていたりします。見ていられません。このままでは、せっかくの田んぼが台無しか?
 しかし、この田んぼを所有している農家のご主人たちが、ボランティアとして指導に当たってくれているのです。代作りから水の導入、苗床作りもすべてご指導の賜物。
 この日も、手取り足取りの数時間で、なんとか3枚の田んぼの田植えを終了しました。

 実際に泥の中に足を踏み入れ、苗をこの手で植えていく。都会人の真似事農業にすぎないけれど、確かにここに、食糧の収穫への手触りがあります。
 多分、ここに一度でも参加した学生たちは、白いご飯を食べるときに、今までとは違った味を味わうのではないでしょうか。ファミレスで、食べ残したご飯を前に、「ん? これでいいのか」と考え込むのではないでしょうか。バカボンのパパではありませんから「これでいいのだ」とはなりません。

 里山農業体験を通じて、この教授が学生たちに伝えようとしていることが何かは、聞いてもきちんとは答えてくれません。しかし、自分の体で実際に土や草に触れることからしか、農業問題なんかは語れない。どうも、そういうふうに考えているらしい。
 日本の食糧自給率は40%を下回っているそうです。世界中で、食糧の値段が高騰しています。「食糧よこせ暴動」が、貧しい国で頻発しています。
 日本にも影響しないはずはありません。現に、パンやうどん、パスタなどの小麦粉を原料とする食品の値上げが相次いでいます。しかし、この危機をどうするのか、日本政府から具体的な対策はまるで聞こえてきません。
いつまでも、外国からの輸入にばかり頼ってはいられないはずなのですが。

 さて、田んぼから少し登ったところに、朽ちかけた神社と神楽舞台があります。教授の願いは、この舞台を再建して地域のシンボルの復活を果たすことだと言います。
 地域とのつながりの中に、ある意味での農の復活を夢見る。とてもいい夢です。
 私は、次の草取り作業にも参加しようと思っています



六月三日(火)

非人道兵器よさらばクラスター

 ようやく、究極の悪魔の兵器「クラスター爆弾」の、大方の廃棄が決まったようです。
 “大方の”と書いたのは、不発弾が少ない最新型のクラスターについては、廃棄項目から除外する、という規定がついているからです。いつの場合でも、どんなことにでも、抜け道を作ろうとする国や輩はいるものです。

 クラスター爆弾については、もうそんなに説明するまでもないでしょうが、クラスターというのは“ぶどうの房”などのことで、ひとつの爆弾にたくさんの子爆弾が、まるでぶどうの粒のように詰め込まれていることから付けられた名称です。
 ぶどう粒みたいな子爆弾が、ひとつの爆弾から最大で2千個ほども飛び出します。それが、広い範囲に飛び散るのです。そして、その投下の際に爆発しなかった子爆弾は、不発弾として広範囲の地中に残り、まるで地雷のように、触れた人間の足元で爆発することになるのです。
 子爆弾には、人間の殺傷能力を高めるために、ナイフのような鋭い刃先を持った鉄片が多数詰め込まれています。なんとも、おぞましい。こんな武器を開発する人間とは、いったいどんなヤツなのでしょう。“悪魔”と言われても仕方ない。
 しかも、この不発率がそうとうに高い。むしろ、不発弾を地雷として利用するために開発されたのではないか、と言われているほどです。
 ようやく戦闘が終わっても、それをばら撒かれた土地には、もう立ち入ることができない。知らずに触れて手足を失った人間は、すでに全世界で数十万人を超えています。しかも、死傷者の98%は民間人であり、その中でも目立つのは、27%にものぼる子どもたちの犠牲者です。知らずに遊んでいて、手足を吹っ飛ばされてしまったのです。
 そんな不発弾が、現在も数千万発、世界中に散らばっています。特に、イスラエル軍がパレスチナ側との戦闘で使用したもの、アメリカ軍がイラクやアフガンで使った爆弾、コソボ紛争などでNATO軍が撒いた分は、いまもその悪魔ぶりを十分に発揮し続けているといいます。

  その非人道性には、早くから国際的な非難の声が上がっていました。それらの声がようやく実を結んだのです。
 5月30日、参加110ヵ国の満場一致の賛成で、クラスター爆弾のほぼ全面的禁止条約案が採択されました。この締結には、NPOやNGOの活躍がとても大きかったといいます。もはや、政治を動かすのは各国政府などではなく、理想を追いかける非政府団体なのかも知れません

 日本は、この条約について、どんな態度だったのでしょうか。町村官房長官が、苦虫を噛み潰したような顔で会見していましたが、本音としては、禁止には反対だったのです。
 超大国である米中露は、これにはもちろん反対でした。アメリカが反対する条約に、日本がそう易々と賛成するはずがない。世界中にそう思われていた通りの反応だったわけです。
 反対の理由として、クラスター爆弾に代わる同様の兵器を、わが国はまだ所有していない。
 不発弾が極めて少ない最新型クラスター爆弾は高価であり、それを代替とするには時間と予算がかかる。
 この廃棄には莫大な金がかかり、その資金の手あてがつかない。
 長い海岸線を持つ日本は、水際で侵略を防ぐためには、どうしてもクラスター爆弾が必要である。
 地元民は避難させてから使用するから、日本人への被害は最低限に抑えられる。
 などと説明していました。どれをとっても説得力がありません。
 廃棄にどれぐらいの金がかかるか、いったい何発のクラスター爆弾を防衛省が所持しているか、などを政府も防衛省も明かさないのだから、議論のしようもないのです。地元民の被害は最低限に、というけれど、最低限とはいったい何人のことか?
 このようなそれこそ最低限の情報さえ開示しないままで、廃棄に反対するのは、まさに言い逃れとしか受け取れないのです。

 でも日本は結局、賛成に回りました。福田首相の強い決断だったといいます。
 「あまりにひどい支持率低下に悩んだ福田さんが、人気回復のために賛成に回ったのだ。対人地雷禁止条約(1999年3月1日発効)に、政府や防衛庁(当時)の反対を押し切って賛成に回り、一定の人気回復をしたかつての小渕首相の例にならったものだ」
 というのが、いわゆる事情通の解説ですが、私はそれでもこの福田首相の決断を強く支持します。例えどんな理由であれ、「非人道兵器の廃棄」には、もろ手を挙げて賛成します。
 この条約では、8年後までに決められた兵器をすべて廃棄するよう求めています。8年後、です。私たちはその結果を、きちんと8年後まで見つめ続けていかなければなりません。

 同じように、わが国は「核廃絶」に向けて、リーダーシップを発揮して突き進むべきです。それこそが、ほんとうの意味での平和国家になれる道です。
 しかし、核武装を議論すべきだと、いまだに主張し続ける自民党のお偉方も多い中、その道はなかなか険しいでしょう。

 各メディアも、今回の「非人道兵器廃棄」には好意的でした。しかしその中で、突出して廃棄反対を唱えた新聞があります。産経新聞です。
 産経は社説で「日本の安全が損なわれる」(5月29日)と訴えました。政府や防衛省のこれまでの主張と瓜二つ、日本へ侵攻してきた敵をどう防ぐか。クラスター爆弾以外の有力な手段はない、と断じたのです。なんとも、凄まじい論調です。
  「米中露の超大国が参加しない以上、あまり効果がない」と冷ややかに見る人もいます。しかし、対人地雷禁止条約のことを考えれば分かるはず。
 あの条約が締結されて以降、大国といえども、勝手に対人地雷を使い続けることは不可能になりました。国際世論が、大国の好き勝手を許さなくなりつつあるのです。多分、今回のクラスター爆弾禁止条約も、そのような効果をもたらすでしょう。

 それでも産経新聞は、「平和は武力でしか守れない」と、ブッシュ大統領と同じ論理を繰り返すのでしょうか。

(鈴木 耕)

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