お別れのご挨拶
さて、このコラム、今回にてお開きにさせていただきます。
『マガジン9条』が立ち上がったのは、昨年(2005年)3月第1週でした。つまり、今回の更新でちょうど丸1年が経ったということになります。
当初から、「1年ぐらい続けられればいいなあ」という思いで始めたコラムでしたが、今回でちょうどその1年が過ぎた、というわけです。
夏休みの1週間だけお休みをいただいた以外、なんとか一度の休みもなく連載を続けることができました。
この辺で企画全体を見直すのが、この『マガジン9条』にとってもいい潮時ではないかと思うのです。
「ツッコミ」コラム自体も、いささかマンネリ気味になってきたなあと、筆者自身が感じ始めていました。メディアの報道をネタにして、そこから世相や時代の流れを読み解くという形態にも、このごろ限界が見えてきたような気がするのです。
もっと、読んでくださる方たちの心の深部にまで届く手法はないものか、そんな文体は作れないものか、と自問自答しながら1年が過ぎました。で、そろそろ見直しの時期ではないかと、編集部にも、少し前からその旨を伝えてありました。
多分、「ツッコミ」とはまた違った形の「時代状況コラム」が、もうじき立ち上がると思います。
それなりに考えながら書いてきたつもりです。
『マガジン9条』は、9条なんかにあまり関心の無かった人たちにも読んでもらって、少しでも理解の助けになれたら嬉しい、そんな思いで始められたものでした。
私は、基本として、日本国憲法の「前文・9条の精神」を育て広めていきたいと考える立場を明らかにしてきたつもりです。
そのために、戦前に回帰しようとする勢力には絶対に与しない、その危険性をできるだけ具体的に指摘し批判していくこと。
これが、このコラムのスタンスでした。
時にはその思いが溢れ、筆が走りすぎたかなあ、と反省することもありました。
多くの激励と、時には批判のメールもいただきました。それぞれがそれぞれの考え方で議論しあう。その一つのきっかけになったのであれば、それはそれで良かったと思っています。
自由にものが言えること、これが「民主主義の最低のルール」でしょう。そのルールがなければ、それこそ私たちの国から程近いある国のような惨状に陥ることになりかねません。
こんな警句があります。
「私はあなたの意見には反対である。しかし、あなたがその意見を表明する自由だけは、命をかけても守る」
私には、そこまで言い切れる自信はありません。
しかし、自由に何でも話せる社会を守りたいという気持ちは、とても強く持っています。コソコソと裏ではグチを言いながら、本音を表明できないのでは、生きやすい社会とはとうてい言えません。
そう思うからこそ、各メディアについてはそうとう厳しい批判も加えてきました。
現状では、メディアが決して自由な言論の場にはなっていない、いや、むしろ後退し始めていて、言えない&言わないことが多すぎる(のではないか)と思っています。
また、権力に都合のいいように報道内容がコントロールされている(のではないか)と感じられることが、このところとても多くなってきているような気がしているのです。
「朝日新聞vsNHK」の争いの時には、権力のメディアに対する圧力の内実が少しは明らかにされるのではないかと期待したのですが、結局はウヤムヤに終わって(終わらされて)しまいました。
ほんとうに残念な結末でした。
だからこそ、メディア批判は続けなければならないと考えます。それは、権力を監視する人(ジャーナリスト)たちを私たちが後押しして、後退しないように頑張らせる必要があるからです。
そうしなければ、やがて「物言えぬ社会」が来るかもしれない。
でも、こんな私の思いを、あまりうまくは読者の皆さんに伝えられなかったのではないかと、忸怩たるものが残ります。
それは私の力不足でしょう。もっと、伝える技術を身につけて、いずれまたお目にかかる日を楽しみにしています。
それでは、またお会いしましょう。
Long Good−by ではなくて、
Short Good−by
|