先週も取り上げましたが、麻生サン、まるで懲りた様子もない。ポスト小泉に名乗りを上げた自分をなんとか目立たせたい、との政治的意図ばかりがプンプンと臭います。
いったいこの人、きちんと物事を調べてから発言しているのでしょうか。外務大臣という極めて重要な閣僚でありながら、政府見解すらほとんど理解しないまま、ひたすら遺族会の票が欲しいばかりに場当たり的な発言を繰り返す。これで外務大臣が務まる(?)のだから、私たちの国の政治的水準も、そうとう「下流社会」になりつつあるのでしょう。
上の記事にあるように、政府見解は「天皇参拝は私人の立場」としています。もちろん、「天皇に私人という立場はあり得るのか?」という大きな疑問は残りますが、とりあえず政府はそう表明し続けてきたのです。
となれば、麻生サンの意見は、明らかに政府の立場を逸脱しています。「天皇は公私の区別によって参拝を取り止めたのではない」という政府見解を、「天皇参拝が途絶えたのは、参拝が公的か私的かとの議論が原因」と言ってその政府の重要閣僚である外相が否定してしまったのですから、これは「閣内不一致」の典型的例でしょう。
麻生サンには、天皇の政治利用だ、という批判が与野党を問わず沸きあがり始めました。先週、このコラムで「マスコミは、なぜかあまり取り上げない」と批判的に触れましたが、さすがにここに来て、この発言のもつ意味の重さにようやくマスコミも気づき始めたようです。
マスコミの良心、かろうじて生き残っているということでしょうか。
それにしても、こんな方を重要ポストに就けた小泉首相の責任は大きいと言わざるを得ません。しかも、ポスト小泉の一員として重要閣僚に起用し、競わせるなどという状況に至っては、呆れ返ってしまいます。
さらに、もっと大きな問題もあります。
これはあるケーブルテレビの番組で、朝日新聞の田岡俊次記者が指摘していたことですが、以下のような内容でした。
「麻生さんは、兵士たちは天皇陛下万歳と言って死んでいったのだから、そこへ天皇陛下が参拝するのが一番だ、と発言した。ということは、兵士たちの死に天皇が責任を持っているということではないか。これは、天皇の戦争責任にまで発展せざるを得ないことになる。麻生さんはそこまでのことを考えて発言したのか」
(これは私が聞いた範囲での解釈ですから、もしかしたら若干違っているかもしれません。でも主旨に間違いはないはずです)。
でも麻生サン、そんな深い意味を理解して発言したとはとても思えません。これまでの発言を聞いていると、とりあえず喋っちゃった、リクツはなんとか後でつけちゃうからね、ってなもんですからね。ほとんど、リクツらしいリクツはついておりませんが。
それにしても閣僚たるもの、「憲法尊重擁護義務」が憲法上で厳しく課せられているくらいのことは、いくらなんでもご存知でしょう。それを踏みにじるような天皇の政治利用としか思えない発言などを、たびたび重ねる。
当然、罷免されてしかるべきなのです!
しかし親分の小泉サンからして、憲法なんか守る気がない。法律を守らないとして批判されているホリエモンや小嶋社長なんかが、なんだかいじらしく見えてしまうのです、困ったことに。
やはり、この方、政治家としての資質に問題があるとしか思えません。いくら「血筋」(吉田茂元首相の「女系」の孫に当たります)が良くったって、それだけではリッパな政治家になんかなれないということの、とても分かりやすい見本でしょう。
他にも2世3世の政治家は、掃いて捨てるほどいます。やっぱりみんな、似たり寄ったりなのでしょうか。
その発言の余波がまだ鎮まらないというのに、麻生サン、今度は日本の植民地支配を肯定する発言でトバシます。 なんとも開いた口が塞がりません。
特に「我々の先輩たちはちゃんとしたことをやっている」とは何たる発言でしょう。
ちっとはいいこともしたじゃん、あとは目をつぶれよ、というわけですね。日本に侵略され支配された経験を持つ国の人々として、これでは怒らないほうがどうかしている。
そもそも、ここで言う「義務教育」の内実とは何か。その教育の主たる目的は、支配の円滑化、すなわち「日本語教育」(もちろん、他の科目も教えたでしょうが)にあったことは間違いありません。日本語を覚えさせれば、それだけ支配はラクに出来ると考えたのです。これは、日本が占領した国や地域でほぼ同一内容として推し進められた政策です。このことは、少しでも歴史を学んだ人には常識でしょう。
支配国の言語を、支配円滑化のために「義務教育」として押し付けておいて、「ちゃんとしたこと」をやったと威張っている。
この人、自分の身に引きつけて考える、という普通人なら当たり前の感性をまったく持ち合わせていないらしい。
もし私たちの国があの敗戦でどこかの国に植民地化され、その国の言語を義務化(強制)されていたらどうなっていたのか、というような想像力はこの人には一切働かないようなのです。
何かといえば日本人としての伝統とか慣習などを持ち出し、それを守るのが日本人の責務である、と強調しているのは当の麻生サンを始めとする「右寄り」の方々です。その伝統も慣習も、日本語抜きには考えられないはずです。
日本語よりも、宗主国の言語が優先されていたら一体どうなっていたのか、そんな簡単なことすら想像できない-----。
日本の伝統は守らなければならないが、他国の伝統などうでもいいのだ、とでも言うのでしょうか。
そういえば麻生サン、かつて日本が植民地支配下の朝鮮人たちに「創氏改名」(元の名前を捨てさせ、日本名を名乗らせたこと)を押し付けたことについて「それを自ら望んだ人が多かった」などと、ビックリ仰天の発言をして、韓国などから激しい抗議を受けたこともありましたよね。
懲りない、と言えば、これほど懲りない方も珍しい。
しかし、こんな人が決して珍しい存在ではない、というのが自民党の現状です。そこが、ほんとうに恐ろしいところなのです。
日本国憲法第十章 最高法規
第九十九条(憲法尊重擁護義務) 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。
もう一度「憲法尊重擁護義務」を定めたこの条項を噛みしめて欲しいものですが。
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