今ごろ何を言っているのか、と呆れるような、衆院沖縄問題特別委の視察会見です。
普天間基地移転が政治問題化したのは、もう何年も前からの話です。今ごろやっと腰を上げ、沖縄県知事や名護市長などに意見聴取。しかし、あまりに遅すぎます。
すでに、移転先とされる辺野古地区を抱える名護市では、この移転計画の是非をめぐって三つ巴の市長選が展開されています。
すべてが、アメリカ国とその鼻息をうかがう日本国の駆け引き政治の中で翻弄されている沖縄なのです。当然、そのおこぼれにあずかろうとする人たちも、ザワザワと陰で蠢き始めている、という状況。これはもう、沖縄も本土も変わらぬ悲しい現実でしょう。
そして、本土ではほとんど報道されない、辛い事件の数々。上の記事の「基地内での強盗事件」もその類です。今回は、横須賀での米兵による強盗殺人事件があったため、それとの関連でほんの少しは報道されましたが、扱いは虫眼鏡程度。
さらには、地元住民の迷惑などまったく念頭にない、相変わらずの米軍深夜訓練などなど。
これだけ踏みつけにしておきながら、最終的にはやはり米軍基地は沖縄に押し付けたままの現状を変えようとはしないのが、私たちの国の政府です。せいぜいが、米軍再編に乗っかった沖縄県内の基地たらい回しを画策しているにすぎません。
まるでナントカの一つ覚えのように「小さい政府」を称え、「官から民へ」を旗印に改革を叫ぶ、小泉サンとそのお回り大臣、官僚たち。
「小さい政府」は、基地の重圧に喘ぐ沖縄の人々を、どんな手段で救おうというのでしょうか。基地さえも「官から民へ」で民営化しろ、などとはまさか言わないでしょうね。
このように書くと、必ず出てくる意見が「沖縄は、基地経済で潤っている部分が大きいのだから、基地返還ばかりを言うのは一部の人たちだけであり、短絡だ」とか「実際は、心の中で基地の存続を願っている人のほうが多いのだ」などというものです。
つまり、「すべては金である。金をばら撒くから、多少の不便や騒音、犯罪などには目をつぶるべきだ。日本のために犠牲になってくれい」というのが、日本の小泉サンを筆頭とする政治家や官僚、御用学者さんたちの本音なのでしょう。沖縄もまた日本であるということを、すっかり忘れ(または忘れた振りをして)よく政治家や学者をやってられるものだと思います。
1970年代に脚光を浴びた(現在も現役ですが)沖縄のフォーク歌手・佐渡山豊さんに『どぅちぇむにぃ(独り言)』という曲があります。
唐ぬ(の)世(ゆぅ)から大和(やまと)ぬ世(ゆぅ)
大和ぬ世からアメリカ世
アメリカ世からまた大和ぬ世
ひるまさ変わりぬ くぬ(この)うちなー(おきなわ)
つまり、唐、日本、アメリカ、そしてまた日本という、変わらぬ支配を受け続ける沖縄を歌った歌です。絶叫調で訴える彼の歌に鳥肌だったのは、もうずいぶん昔のことです。しかし、その佐渡山さんが歌ったかつての状況と現在では、いったい何が変わったというのでしょう。
この歌のように「なにも変わっていないこの沖縄」ではないですか。
はっきり書いておきます。
名護市市長選挙では、基地に反対する候補に勝ってもらいたいと、私は切実に思っています。できることは少ないのですが、とりあえず、カンパを送ります。
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