(5)国民主権の希薄化
現行憲法前文には「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。<中略>われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と書かれています。
しかし、今回の自民案では「国民の責務」は強調されているものの、「国民の権利」や「福利の享受」についてはまるで触れられていないのです。自民党の方々が何をどう考えているか、書かれていない行間から、きっちりと読み取ることができるでしょう。
特に、現行前文の引用の後半、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅の排除」を謳った部分は、自民案では当然のごとく削除されています。すなわち「国民に由来する権威や権力」は、自民党にとっては邪魔な存在なのです。
ここで「詔勅」(注・天皇が意思を表示する文書。詔書と勅書と勅語=岩波・広辞苑より)をも削除してしまったということは、将来、またも戦前のように天皇を政治利用しようという意図があるのではないか、という疑問だって払拭できなくなります。ことさらに「象徴天皇制は、これを維持する」と第2段落の最初に書いているのは何故なのでしょう。偶然なんかであるわけはない。
「主権が国民に存すること」という主旨の文言も、当然のことながら、どこにも見当たりません。
「政治はおれたち自民党が自由に行う。国民はうるさいことは言わずに黙ってついて来い。でなきゃ、お前ら国民を黙らすための法律なんか、じゃんじゃん作っちゃうもんね」というわけでしょうか。
そういえば、前にこのコラムで触れたように、「共謀罪」なんかを出してきて、国民の思想すら縛り、気に入らなければ罰してしまおう、なんて凄まじいことを考えているのも、自民党のみなさまでした。これも憲法改定のための足元固めって気がしてきました。着々と布石を打っているのですねえ。
コワイです。
やはり、「これに反する一切の憲法、法律及び詔勅を排除」した現行前文のほうが、はるかに私たち「国民」の側に立っているのではないかと思うのです。違いますか?