12月15日、南アフリカの東ケープ州クヌで同国の元大統領、ネルソン・マンデラ氏の葬儀が行われました。それに先立つ10日にはヨハネスブルク郊外で、オバマ米国大統領やキャメロン英国首相など世界の要人ら(日本からは皇太子殿下)が参列する追悼式が開かれるなど、南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイトと闘い、それを撤廃させたマンデラ氏の功績を称える一連のセレモニーをテレビで見ながら、私は25年前、1988年秋のことを思い出していました。
場所は東ベルリンのとあるプロテスタント教会。そこでは週1回、信者であるなしを問わず、老若男女がわずかな参加費を払って、ワインやジュース、サンドイッチやクッキーを口にしながら、世の中のことを語り合うサロンのような集まりが催されていました。当時、現地の大学に通っていた私が初めてそこを訪れたとき、テーブルの上に置かれたラジカセから「Free Nelson Mandela」という曲が流れていたのです。反アパルトヘイト運動の指導者として獄中に繋がれていたマンデラ氏の解放を訴えた歌は、思わず身体が動き出すご機嫌なリズムで、私は瞬く間に魅了されました。
この教会では、峠三吉の『原爆詩集』からタイトルをとった反核ドキュメンタリー『にんげんをかえせ』が上映されるなど、反差別・民主主義・平和について考えるイベントがときどき開かれており、それゆえに東ドイツ当局による監視の対象となっていました。そうした集まりが反政府的な運動へ向かわないか、警戒されていたのです。
露骨な弾圧がなされていたわけではありません。しかし、そうした政府の姿勢は国民を委縮させるには十分であり、だからこそ教会は、自由に討論できる限られた空間として機能していました。
東ドイツの当時の状況が、私には、特定秘密保護法が施行されるこれからの日本を連想させます。国の規模、置かれた状況、時代背景は違いますが、物静かで生真面目な国民性は日本との共通点も感じられ、物言えば唇寒し、自由な意見の表明を躊躇わせる、人々に従順さを強いるような社会になる予感がするのです。
ただ、その一方、東ドイツの劇場や映画館、美術展では、検閲を受けるリスクを負ったぎりぎりの表現を通して、観客に自分たちの社会の現実を伝えようとする作品が多く、それらは西側の自由世界のそれよりもエキサイティングで面白いものでした。
芝居が跳ねれば、劇場横のバーでいま見た作品についての侃侃諤諤の議論が始まる。そんな人々の止むにやまれぬ民主化への渇望がベルリンの壁をこじ開けたことを考えれば、日本でもこれから民主主義の生みの苦しみが始まるのではないか。
ネルソン・マンデラ氏の葬儀を機に、かつての経験を思い出し、最後には自分たちの足下を見つめ直すことになった次第です。
(芳地隆之)
昔は何でドイツが東西に別れていがみ合ってるのかわかんなかったけど今はわかる気がする。