今週の「マガジン9」

 「国民が納得するかどうかは別として、もっと海外へ行って、鉄砲もどんどん撃てるような軍隊にならなければなめられちゃう、だからどんどんやらせるんです、ということならば、こういう憲法改正草案を出してきたのもわかるけれども」
 NPO法人国際地政学研究所の柳澤協二・理事長は季刊誌『SIGHT』のインタビューで、集団的自衛権の発動を認める自民党の憲法草案についてこう語っています。防衛官僚として自衛隊のイラク派遣を統括してきた同氏は、過去に日本が行ったことは侵略行為であり、侵略でない形での自衛隊の任務をもって、世界の平和に貢献するというスタンスできたが、現在の自民党は過去の侵略性そのものを否定しようとしていると懸念を述べています。
 歴史認識を見直そうとする為政者の心情には被害者意識があるのではないかと私は思います。太平洋戦争はABCD(米英中蘭)包囲網によってやむなく開始した自衛の戦争だったとか、戦後の日本国憲法は押し付けられたものだったとか、慰安婦制度は他の国にもあったじゃないかとか。これらに通底しているのは「日本だけが悪いんじゃない」。しかし、こういう理屈を言う人ってどうですか? ましてや国際社会でこういう議論の仕方は通用しません。
 安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」では、集団的自衛権の行使を容認できるよう憲法解釈を改めよという意見が優勢です。ここでは「もしある国が友人であるアメリカを攻撃しても、われわれは黙ってみているのか」という声が聞こえます。これも「敵にやられたらどうする」という自らを被害者に見立てた議論に聞こえます。
 しかし、歴史を振り返れば、冷戦時代のソ連によるハンガリーやチェコスロバキア、アフガニスタンへの軍事侵攻は、ソ連が各国政府から要請を受けての決定=集団的自衛権の行使として正当化されました。1970年代の米国の対ベトナム戦争、2000年代のイラク戦争でもそう。つまり、集団的自衛権は、攻撃してくる敵を同盟国が共同で迎撃するためではなく、自分たちに敵対する国を潰す大国の論理として使われてきたのです。
 柳澤氏は先のインタビューでこうも語っています。
 「そのときに、それ(集団的自衛権の行使)が必要だって言うならば、じゃあことによったらあんた(政治家)は(戦場に)行くかと。自分の子供を戦争に出してもいいんだね、というところまで突き詰めて考えているかどうかということですよね」
 勇ましいだけの言葉で軽々しく自衛隊員の命を危険にさらすようなことを議論してくれるな――そんな訴えに私には読めました。

(芳地隆之)

 

  

※コメントは承認制です。
vol.422
集団的自衛権は
攻撃のために使われてきた
」 に3件のコメント

  1. このロジックだとさ「中国の集団自衛権反対!日本を守れ!!」って話になると思うんだけどな。

  2. 花田花美 より:

    「被害者意識」を装っているだけだと思います。
    本当は軍事攻撃できるようにして自衛隊がアメリカ軍に都合よくなるようにしたいのだけど、そういうと、国民に反対されるのがわかっているから、
    「敵にやられたらどうする?」の論理で国民の同意を得ようとしていると推察します。
    こういう論理をつくって国民をあざむき、アメリカに服従するのが、自民党はとっても上手です。

  3. うろこ より:

    「普通の国民は戦争を好まない。が、戦争に導くのは簡単だ。我々は野蛮な国からの脅威にさらされている、と恐怖を煽り、平和主義者には非国民と非難・攻撃すればいい。これはどの国でも有効だ」
    ナチスの将校の言葉ですが、まさに日本はこれを実践してますね。「ナチスに学べ」でしょうか?
    まんまと戦争に突き進む日本をみていると、歴史に学ばない国民性に情けなくなります。

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