NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』が今週で終わります。ユーモアとマニアックなギャグが満載の脚本、テンポのいい演出、ご機嫌な音楽、そして芸達者な役者たち。このドラマの魅力はいろいろありますが、私が最初に共感したのは、東京の高校に通っていた主人公(アキちゃん)が、母のふるさと岩手県北三陸地方を好きになり、方言まるだしで生き生きと暮らし始めるところ。私自身、高校2年の時に、東京の郊外から父のふるさとである香川県西部の農村に引っ越し、へんてこりんな讃岐弁で毎日を過ごしたせいか、アキちゃんの「地元」に対する気持ちがなんとなくわかるのです。
同じくNHKの『鶴瓶の家族に乾杯!』では、先々週と先週にわたって、私の実家がある三豊市が取り上げられました。この番組は毎回、笑福亭鶴瓶さんがゲストの思い出の地を一緒に訪ねるというもので、この回では元チェッカーズの藤井フミヤさんとともに瀬戸内海に浮かぶ粟島と志々島に向かいました。
1年前にプライベートで訪れた粟島の自然と島民の温かさが忘れられず、再訪となったフミヤさんに、前回、彼が泊まった民宿の女性がこう言います。
「ああ、サザエがあるわ。息子が昨日ようけ獲ったんや。壺焼きにしてあげるな」。息子さん、素潜りで獲ったらしい。
私が通っていた高校にも粟島出身者がいました。彼は中学卒業後、島を離れて下宿先から通学していましたが、いまでは島の小学校も中学校も廃校になり、島民の多くは高齢者です。
だから助け合いは当たり前。食べきれないサザエを近所にお裾分けすれば、代わりに野菜をもらう。高齢者のケアをする人もいる。
物々交換やボランティアが島の生活をある程度回していくのを見て、私は自問せざるをえませんでした。はて、俺は他人様に何を提供できるだろうか、と。
いまの自分の生活をみれば、ほとんどが貨幣を通して成り立っています。いや、「貨幣がなければ成り立たない生活を送っている」という方が正しい。私の祖父母は畑で玉ねぎ、山でみかんをつくり、自宅では養豚を営んでいました。私は米一粒、収穫したことがありません。
そうした命に直結したことでなくてもいい。せめて自分がいままで身に着けたスキルを周りの人のために使えないか。そんなことを頭の隅に起きながら、日々の仕事に勤しむこの頃です。
そして来年の夏、実家に戻った際には、近所の海へ出かけてサザエを獲るという目標を立てました。もちろん密漁にならない程度に。
(芳地隆之)
石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。
以上、引用は、
原発はどんなものか知ってほしい
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page7
「あまちゃん」では、原発汚染水問題は完全にスルーされました。
福島原発汚染水問題から目をそらさせる目的はなかっただろうか?
NHKは、番組改編問題などやっていたから、怪しいです。
いや、そんなはずはありません。私がひねくれているだけです。
とにもかくにも、原発を全部廃炉にして、美しい海をとりもどさなければなりません。