今週の「マガジン9」

 最近手にした松岡正剛著『フラジャイル 弱さからの出発』(ちくま学術文庫)は何ともとらえどころのない、しかし読み手をひきつけて離さない不思議な魅力をもつ本でした。
 弱さとは何なのか? について博覧強記の著者が歴史、芸術、科学、社会学、哲学などあらゆる視点、様々な角度から迫る試みです。

 ドラキュラ伯爵がニンニクを嫌がらなかったら、インディ・ジョーンズがヘビを苦手にしなかったら、オバQが犬を見ても逃げ出さなかったら、果たして彼らは魅力的なキャラクターたりえただろうか? もっと時代を遡れば、アキレスの「アキレス腱」がなければ、武蔵坊弁慶の「弁慶の泣き所」がなければ…。

 ヒーローは弱点を抱えているということに注目した松岡氏はこう指摘します。弱さ、あるいはフラジャイルなものは人を引き付ける「力」をもっている、と。

 たとえば地域をみると、その中心に子供や高齢者、身障者がいることが多い。選挙の投票所として小学校の体育館が使われるのは、大人が子供を見守る場として普段から住民に親しまれているからではないか。コミュニティとは社会的に弱い立場の人が求心力を発揮して生まれるところだと思うのです。

 だからバリバリ働く優秀なビジネスマンの集団のなかにコミュニティが生まれることはあまりない。そこでは「競争」の論理が働き、社会的強者が集うのはどちらかというと「サロン」に近い。そして社会的強者によるサロン的なもののもろさを露呈させたのが一昨年の東日本大震災でした。

 「絆」とか「がんばろう 日本!」といった言葉をマスメディアが連呼したのは、被災地との連帯もさることながら、自然災害を前に自分たちの無力さを思い知らされたことの反動だったのではないかと私は思います。

 お互いに助け合うことを忘れない被災地の人々の姿とは対照的でした。彼らはもともと「競争」よりも「共生」の論理で生きてきた。東日本大震災は、コミュニティをもつ者ともたない者の違いも見せてくれたのです。

 とすれば、私たちの社会の足腰を強くするには、社会的弱者の存在が不可欠だと考えられるのではないでしょうか。

 地震と津波と原発事故から2年2カ月以上の年月が経ったいま、中央にいる人々、大都市に住む人々は、復興が進まぬ被災地の現状への関心を徐々に失いつつあります。しかし、あの時身に染みた自分たちの「弱さ」を忘れてしまい、強さや競争ばかりを求めたら、私たちは再び脆弱な基盤の上で生活を送らざるをえなくなります。

 強いは弱い、弱いは強い。禅問答のような、あるいはシェイクスピアの『マクベス』に登場する魔女たちのセリフ(きれいはきたない きたないはきれい)のような言葉が、『フラジャイル』のページを繰る私の頭のなかに浮かびました。

(芳地隆之)

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

最新10title : 今週の「マガジン9」

Featuring Top 10/195 of 今週の「マガジン9」

マガ9のコンテンツ

カテゴリー