1990年に英国で当時のサッチャー政権がポールタックス(人頭税)を導入した際、国内ですさまじい反発を招きました。人頭税はすべての国民一人ひとりにつき一定額を課すものであり、税金を取る側からすれば、平等でシンプルな税制といえるのでしょうが、所得や資産に関係なく一律に課すそれは、富める者をより富ませ、貧しい者はさらに貧しくするものとみなされたのでした。結局、サッチャーは同年に辞任に追い込まれ、人頭税は1993年に廃止されます。
人頭税に比べれば、消費税はまだフェアだといえるのかもしれません。しかし、それはあくまで比較の問題であり、消費税もまた「いかに弱いものいじめの税金であるか」を、先週から「この人に聞きたい」に登場いただいている斎藤貴男さんが指摘しているとおりです。
にもかかわらず、なぜ日本では人頭税の導入時の英国のような反発が起きないのか。主な理由として、ひとつは多くの納税者が会社員であるため給与から源泉徴収されていること、もうひとつは、国が莫大な借金を抱えているなか、消費税増税分が社会保障費に充てられると思われていること、が考えられます。
とくに後者については、巧みな「カラクリ」があることは先週の斎藤さんへのインタビューを読んでいただくとして、ここでは一冊の本を紹介したいと思います。3年ほど前に刊行された『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』(伊藤洋志著)。
同書によれば、大正9年(1920年)の国勢調査において国民が申告した職業は約3万5000種だったのに対し、現在、厚生労働省の「日本標準職業分類」では2167種にまで減ってしまったそうです。経済規模の拡大のために、いわゆる選択と集中を進めてきた結果、小商いが経済活動から追いやられてしまったのでしょう。
むかしは傘を修繕する人や障子貼りを専門にする人などがいて、それなりに生活できていました。やがてそれだけでは食べられなくなり、いまに至ったわけですが、それだけでは食べられなくなったならば、それだけでなくて、いくつかのしごと=ナリワイを増やすことで収入を得ればいい、これが同書の基本的な考えです。ナリワイは自分がやりたいことであると同時に、他人にとっては人手がなくて困っていることです。こういう小さな仕事はとくに地方では多いと聞きます。
そんなことは難しいと思う読者がほとんどでしょう。こう書いている私も諸手を挙げて賛成とはいえませんから。
しかし、私たちの周囲を見回してみれば、身近にそれを実践している人がいます。本サイトの連載陣のひとりである松本哉さん。彼と彼の仲間たちが運営しているリサイクルショップ「素人の乱」が生み出すものがまさにそうではないか。
そうした働き方をする人が増えれば、税金のおかしさに物言う人も同時に増えていくと思います。
(芳地隆之)