今週の「マガジン9」

 ここしばらく、「鬼の木村」の異名をもつ、自他ともに認める史上最強の柔道家(=格闘家)であった男の伝記『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著)を読んでいますが、この長編ドキュメンタリーの前半で徴兵にとられた木村の軍隊生活での印象的なシーンがあります。下級兵士の些細な言動に過剰反応し、足腰が立たなくなるくらい殴る蹴るの制裁を加える上官の前に木村が立ちはだかり、彼の威圧感が上官を黙らせてしまうのです。

 その痛快さをどこかで味わったことがあるな、と思い出したのが映画『兵隊やくざ』(増村保造監督)でした。勝新太郎演じる初年兵、大宮貴三郎が満洲の関東軍にあって規律に頓着せず、相手が上官であろうが、やられたらやり返す姿に公開当時(1965年)の観客は快哉を叫んだのでした(後にシリーズ化されます)。

 とここまで書いて気になったのは、日本の戦争を描く物語には敵が詳細に描かれる作品が少ない一方、威張った軍人の理不尽な暴力シーンはふんだんにあるということ。それは戦場における普通の兵士にとって、目の前の一番の脅威は、敵軍よりも上官だったことを示唆しているのではないでしょうか。

 映画監督の小津安二郎が「戦争をしている時代は、馬鹿な奴らが威張っている時代である」と言っていたということを、私は『SIGHT』(VOL.62)誌・鼎談での内田樹さん(相手は高橋源一郎さんと渋谷陽一さん)の発言で知りました。翻って日本国憲法を改正せよという人たちの意見を聞くと、「権利ばかりではなく、義務も入れよ」と言ったり、「国民主権」「基本的人権」という文言を削除しようとしたり。下世話な物言いをすれば、「要は自分が威張りたいだけなんじゃないの?」と思ってしまいます。そして、「自分は常に権力者の側にいると思っているのかしら」という疑問も。

 ちなみに冒頭の木村政彦は「鬼」と呼ばれ、指導者としても非常に厳しい稽古を課していましたが、自分の弟子たちを蔑むような言動は一切しなかったそうです。

(芳地隆之)

 

  

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