今週の「マガジン9」

 先月、ディミトリ・コンゼヴィッチ君(通称ディマ)と再会しました。前回、会ったのは2009年夏の衆議院選挙戦の真っただ中。ドイツ緑の党・ニーダーザクセン州ユースの事務局長であった彼には『世界から見た今のニッポン』で、選挙に関するドイツと日本の違いなどについて語ってもらいました。

 その後、英国の大学などで学んだ彼は、2002年にインドネシアから独立を果たした東ティモールにおける政府の財政面でのアドバイザーとして働いており、久しぶりに訪日した彼と語ったテーマのひとつは難民問題でした。

 なぜ欧州のなかでドイツは積極的に難民を受け入れようとしたのか? にとても関心があったからです。

 「『労働力不足を補うため』という外国のメディアが少なからずあったけれど、最大の理由は人道的なものだ」

 ディマは、その背景にあるものとしてドイツの戦前から戦後にかけての歴史を挙げました。ナチスドイツが政権を握ったことによって多くのユダヤ人や共産主義者が祖国を離れざるをえなかったこと、ドイツが戦争に負けて失った領土に住んでいた人々がその土地を追われたこと、などが多くを教えてくれたというのです。

 「ヴィリー・ブラント(元西ドイツ首相)だって、戦時中に北欧に亡命していた。敗戦後のドイツ国民の4分の1は、いわば『難民』として現在のドイツへ逃げてきたといわれている。そういった体験、そして、その原因となった戦争への反省が『難民を見殺しにはできない』という思いを育んできたんだと思う」

 そういうディマ自身はウクライナ生まれです。旧ソ連のドイツ系住民として1992年にドイツへ「帰還」してきました。

 彼の祖父は旧ソ連の中央アジアに抑留された後、ウクライナへ移住してきたそうです。そのウクライナでは、クリミア半島が一昨年、ロシアに併合されました。ディマの親戚はウクライナだけでなく、ロシアにもいて、たまに一同がドイツで集まる際には政治の話題を禁止するとか。

 「でも、たいてい(モスクワに住む)おじさんが始めてしまって、激しい議論になるんだよね」と言ってディマは苦笑いを浮かべましたが、ある日、祖国から追われる、あるいは帰属先が変わるということは、世界では珍しいことではありません。「国は絶対的なものではない」という考えの方がむしろ多数派なのではないでしょうか。

 とすれば、国家主義的な言動が強調されるときは眉につばつけて聞く、見る必要があります。本来、変わりうるものを絶対だと主張するとき、そこには嘘が含まれるからです。

 軽々と国境を越えるディマは翌日、「これからは途上国の国家建設の役に立ちたい」との言葉を残し、バンコク、バリ島経由で小さな島国へと帰っていきました。

(芳地隆之)

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 「マガジン9」は、来週は夏休みのため更新はお休みです。次の更新は、8月17日(水)です。みなさま良い夏休みをお過ごしください。

 

  

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