今週の「マガジン9」

 武智鉄二という映画監督がいました。1912年、大阪の裕福な家庭に生まれ、育ち、京都帝国大学経済学部を卒業後、演劇評論家としてキャリアを開始。戦中から歌舞伎や浄瑠璃を上演し、戦後「武智歌舞伎」として確固たる評価を得るものの、のちに映画監督になってからは『白日夢』や『黒い雪』で、警視庁による映倫へのカット要請や図画公然陳列罪での書類送検などを受けました。

 ちなみに谷崎潤一郎の原作『白日夢』は、武智によって2度にわたって映画化。2度目のそれは佐藤慶と愛染恭子の共演によるセックスシーンが「ホンバン」だということが話題になり、どこかキワモノ扱いされていた節もあったように思います。

 それに対して私の父は当時(1980年代初め)こんなことを言いました。

 「武智は敗戦後、徹頭徹尾『反戦』の人になった。『国は武力を保持すべきではない』と。それに対して『もし敵国が攻めてきたらどうする』と問われたら、『そのときはパルチザン――個人として銃を取り、ゲリラ戦で抵抗する――として戦えばいいんだ』と言っていた」

 戦後、赤裸々な性を描いたのは、個人に執拗にこだわったからかもしれません。

 先日、マガ9編集スタッフと憲法9条について議論したとき、武智のことをふと思い出し、日本が世界に向けて「丸腰」を宣言すれば、世界に与えるインパクトは大きいよね、などと私たち流の「積極的平和主義」で盛り上がったのでした。

 こういうと「敵が侵略してきたら、お前たちは白旗を上げるのか」と詰め寄られるかもしれません。でも、それにはこう問い返したいのです。

 「降参するなんて言いましたか?」

 安全保障や外交に関するメディアの報道で、たとえば「○○国は日本を馬鹿にしている」といった言説が気になります。当然ながら、相手国民が日本国民全員を馬鹿にしているわけではなく、「○○国政府は日本政府を馬鹿にしている」といった方が事実に近いでしょう。

 言葉尻をあげつらっているわけではありません。一人の人間が「私」ではなく、「日本」という主語で語ってしまうと、戦争への皮膚感覚が薄れてしまう気がするのです。

 本サイトの連載陣のおひとり、伊藤真先生は若き頃、「武士道の精神と戦争放棄の9条の理念には共通するものがある」ことに気づいたそうです。「刀をもっているから強いのではなく、人格の高さで相手を説得し、手を出させない」という点で共通する、と。

 それは世界に向けて「丸腰」を宣言する覚悟とも通じるのではないでしょうか。そこで「隣国の軍隊が攻めてきたらどうするんだ」という問いを受けたら(私は国家間戦争は様々な形でのテロよりも起きる可能性は低いと思っていますが)、武智にならって答えればいいのです。

 「パルチザンとして戦えばいい」と。

(芳地隆之)

 

  

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