夏の参議院選挙より、選挙権が18歳に引き下げられることを受け、文部科学省は、校外でのデモなどの政治活動を解禁しました(これまで規制されていたことを知り、びっくりしたのですが)。「学校現場においても、主権者教育を積極的に行う」という社会的な風潮が出てきたにもかかわらず、なぜか愛媛県の全公立高校で、選挙運動や政治的活動への参加については、届け出を義務化する校則に変更。この件、朝日新聞の記事など、マスメディアでも大きな記事になっていたこともあり、先日の日曜日に行われた第40回マガ9学校「12歳からの憲法ワークショップ」においても、質疑応答の際、参加者より「これについてどう考えるか?」との質問がありました。
ゲストで登場いただいた、ドイツ・ライプツィヒ大学大学院生のパウル・クニープさんは、高校時代には先生から「今度はここで、こういうデモがあるから行ってみたら」との情報をよくもらっていたそうで、実際にクラスメートと一緒にイラク戦争反対のデモにも度々参加。参加した時は、その経験やそこで何を考えたか、などを先生も交え学校で議論することが普通だったとの自身の経験を語ってくれました。また、5歳の時から両親に連れられてデモに参加していた彼は、「デモに参加することで、そこで出会った人たちと、社会の問題や政治の問題を語り合うことができる。そしてその経験は、世の中に多様な人や考えがあることを知ることができる。私にとって、自分の今の考えを作る上ですごく貴重で大事な経験だった。だから日本にも若者が気軽に参加できるようなデモのムーブメントが生まれたことは、良かったなと思っている」とも話してくださいました。
そんなチャンスを大人が「危ないことがあるかもしれないから」という理由でみすみす奪ってしまう、というのは、その子ども自身の将来だけでなく、社会全体としても大きな損失になるのでは、と危惧をします。「さまざまな経験は、多様性を生み出す。そしてそれを認め合うことが、強い社会や国になる」とも彼は、指摘していましたから。
今朝の新聞各紙は、ISによるものと見られるベルギーでの大規模なテロのニュースを大きく取り上げています。「多様性を認め合うことが理念のEUで、テロが頻発しているのは何故なのか。異質なものを排除しないとやはり安全安心の暮らしは送れないのでは」との議論もまた起きてくるだろうと想像します。連続するテロによるEUの衝撃は、はかりしれないものでしょう。しかし幾多の戦乱の犠牲の上に、人類がようやく獲得したとも言える、EUの中心的理念である「人権・平和・自由」が、そう簡単に崩れるものではないとも、信じたいと思います。
ひるがえって日本はどうでしょうか。もし外部からの暴力的で破壊的な行為が日本国内にもたらされた時に、日本社会や私たちがどういう行動を起こすのか。恐怖の前に、我を忘れないための鍛錬、その「教育」が、今、どうなっているのか。ひと頃、大学や企業でも、自明のことのように言われていた多様性(ダイバーシティ)の価値を、今こそ見直し乗り切るべき時ではないか、と。そんなことを、ショッキングなニュースと共に、今、考えています。
(水島さつき)