8・30の国会周辺は、10万ともそれ以上とも言われている人々によって埋め尽くされました。この時の航空写真は、国内外のメディアで大きく取り上げられ、ネット上を駆け巡りました(今週のマガ9でも 「風塵だより」や「スタッフコラム」でルポを読むことができます)。私も当日、雨に降られながらあの場にいましたが、この悪天候でなければ、さらに人は集まっただろうと想像できますし、国会前だけでなく全国のいたるところで、「安保法制廃案」「安倍退陣」への連帯行動があったわけですから、本当に多くの人たちが「非暴力抗議活動」を実践したことになります。
この行動に呼応するように、自民党広島県議より安保法制の撤回申し入れがあったというニュースも入ってきました。
反対する市民1万余の署名を携えて首相官邸を訪れた小林県議は、「市民は本当に不安がっている。憲法9条に違反する法案の撤回を求める」と申し入れをしたとのことですが、議員らへの締め付けが厳しいと言われている現在の自民党の中にあっても、こうして異議を唱える人が出てきたのは、このところの市民の行動に勇気づけられてのことではないか、と推測します。さらなる安倍政権の支持率低下や世論の高まりがあれば、さらに次々とあらわれるのではないか、そう期待をしています。
世論の声が国の方針を白紙撤回させたという意味では、今最も注目を集めている、五輪スタジアム建設もまたそうではないでしょうか。これもまた、粘り強い市民の反対運動があり、署名サイトにおける反対キャンペーンもあり、それをメディアが大きく取り上げたということなどが、影響したのではないか、と思われます(今後の進展についても、注意深く見ていく必要がありますが)。
また、今週の「法浪記」でも取り上げていますが、東電元幹部らへの福島第一原発事故の責任を問う強制起訴も先頃決定し、本格的に始まろうとしています。これも遅すぎたとはいえ、市民と一緒に専門家たちが福島原発告訴団を作り、一緒に粘り強く闘ってきた結果が、検察を動かした、ということではないでしょうか。
最近よく言われていることですが、こんなにひどい安倍政権が出てこなかったら、立憲主義も民主主義も憲法9条も、自分たちの頭で考えなかったのではないか、デモも起こらなかったのではないか…。だからといって安倍政権が出てきて良かったとは決して思いませんが、しかし長く政治に対して無関心だった主権者が生み出してしまった「安倍総理」とも言えるわけですから、そこは私たち主権者が、どうにかしなくてはなりません。
この夏で戦後70年、そして東日本大震災から今月11日で4年と半年。戦後生まれの私たちは、敗戦によって与えられた民主主義、与えられた憲法をようやく自分たちのものとして、使い始めているようにも思います。未曾有の原発事故によって、取り返しのつかない大きな犠牲を再び払ってしまいましたが、それによって長い眠りから目覚めた人々が、今後もますます増えていった時に、この国に何が起きるのかは…ちょっとまだ私にもわかりません。
(水島さつき)