先週の土曜日、都内で開かれた小田実さん没後8年シンポジウム「ひとりでもやる、ひとりでもやめる 〜いまこそ良心的軍事拒否国家を!」に参加しました。標題に掲げられた言葉は、小田さんの著書『ひとりでもやる、ひとりでもやめる —「良心的軍事拒否国家」日本・市民の選択』(筑摩書房、2000年)からのものです。そこには、〈「平和憲法」の基本の原理の「平和主義」をひとりひとりの個人の領域でとらえれば、その個人が属する国家が軍隊を、もとうがもつまいが、そこにまちがいなく出てくるのは「良心的兵役拒否者」としての個人のありようでしょうし、その「良心的兵役拒否者」の集団としての日本国家のありようとなると、…〉という、今、まさに読むべき市民活動への指針となるような言葉が、詰まっていました。
シンポでは、「wam 女たちの戦争と平和資料館」館長の池田恵理子さんのお話もあり、従軍慰安婦問題について、小田さんがどのように捉えてらっしゃったかについても、初めて伺うことができ有意義なものでした。
連載コラム「徴兵拒否でフランスに亡命 イェダりんの“リベルテ”を探して!」でもおなじみの、イ・イェダさんの紹介もありました。今年はベトナム戦争終結40年。韓国は、アメリカとの集団的自衛権によって、のべ32万の軍隊を派遣。莫大な数の人間が、殺し殺されるという悲惨な「参戦」となりました。こうした歴史を再検証する中で、小田実さんらが行ったベ平連の運動は、韓国における兵役拒否者を支援するグループの中でも、注目されているのだそう。実際に「誰も殺したくない」との思いから、フランスに単独で亡命したイさんは、まさに小田さんの思想「ひとりでもやめる」の実践者だと言えるでしょう。
さて、「ひとりでもやる」の人々が大勢集まり、今日も国会前で、全国で、平和のための抑止力という名の下に軍事力を強化しようとする為政者に向かって「NO」と声を上げています。「平和主義」と「個人の尊重」を根幹とする日本国憲法を、一人ひとりが体現しているのだと、改めて実感する戦後70年目の夏です。
(水島さつき)
個人の尊重を主張することで,本人はいいんでしょうけど,身内は周りからよくは思われず,同胞からは義務を果たさないものとして白い目で見られるわけでしょう。国民としての義務か個人の意思か,どっちがいいんですかね。