少し前のことですが、ある人から、10年前に放映されたテレビドラマ『女王の教室』を勧められました。
主人公は天海祐希さん演じる冷徹な小学校教師です。彼女は担任の6年生に対して一切笑顔を見せず、ちょっとでも遅刻した生徒には授業を受けさせない、ルールを守らない、目標を達することができない場合にはペナルティを科す、ときは脅したり、たぶらかしたり、生徒たちの弱みを握って、自分の言うことを聞かせようとします。そのため子供たちはすっかりビビッてしてしまうのですが、あるとき先生の仕打ちを逆手にとり、自分たちの弱み――嘘をついたことや臆病だったことなどをさらけ出します。そのことで主体的に考え、行動するようになっていくのです。
このドラマを勧めたのは、そこにある種のマネージメントの要諦、組織の人間は「自分の弱みを見せることで強くなれる」ことを示しているからだと、その人は言いました。
『女王の教室』にはいいセリフがたくさんあります。たとえば、「どうして勉強しなくてはいけないのですか?」という生徒からの質問に対して、先生はこう答えます。
「勉強はしなきゃいけないものではありません。したいと思うものです。これからあなたたちは、知らないものや、理解できないものにたくさん出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにもたくさん出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や、探究心のない人間は人間じゃありません」
あるいはこういう言葉も――。
「日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる? 今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの」
その辛辣なメッセージを受け取った当時の小学6年生が20歳を過ぎた現在、自分たちが生まれる前にジョン・レノンとオノ・ヨーコが掲げたメッセージを引き継いで反戦デモをしている――全国各地のデモや抗議活動などで、熱い反戦メッセージを伝える彼、彼女らを見ていて、そんな想像をしました。
『女王の教室』(脚本は遊川和彦氏)を未見の方、レンタル店で手に取ってみることをおすすめします。
(芳地隆之)
「日本という国は、・・・・・。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる? ・・・・・・戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの」
これが、日本の教育方針の底流にある発想だろう。ここには一人一人がかけがのない存在、等という発想は読み取れない。
以下は、著者リヒテルズ直子「オランダの教育」からの抜粋である。文科省官僚に聞かせたい一節である。 「なぜ国が国の制度を挙げて子供の個性を重視し、ハンディのある子どもに教育機会の均等を実現しようと努力するのでしょうか。それは一様な価値観や尺度で子ども選別していると、そこから落ちこぼれる子ども達が将来、社会のどこにも位置を得ることが出来なくなるからです。それは社会不安の原因ですし、その社会の将来の発展にとって大きな損失です。社会そのものの臨機応変の柔軟性と活発な想像力を期待できなくなります。」