2020年に控えた東京オリンピックに向けての新国立競技場建設をめぐり、デザインの見直しなど異論が噴出していましたが、結局、現行のデザインのまま文部科学省は大手ゼネコンと契約を結ぶ方針になったと、本日の朝刊が報じていました。総工費は900億円ほど膨らみ、2500億円を超える見込みです。
見積額が最大3000億円といわれたザハ・ハディド氏の設計を踏襲するか否かをめぐっての今回の騒動。さらには下村文部科学大臣が建設費のうち約500億円の負担を都に求め、それに対して舛添東京都知事は「現在の法制度では負担の根拠がない」と反発。そこに東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が加わり、「五輪を招致し、推進したのは東京都であり、それを承知の上で知事に立候補して当選したのだろう」と舛添知事の政治姿勢を問題視するという、泥仕合の様相を呈してきてもいました。
いまさら言っても詮無いですが、日本の都市が五輪開催地の立候補の名乗りを上げた際、私は当サイトのマガ9スポーツコラムで、東京よりも福岡市を、東京に決まった後は、日本の首都よりもイスタンブールを推しました。前者は、日本の地方都市が国際イベントを主催することのメリット(福岡市は韓国や中国と近いので、東アジアを代表する都市になれる)、後者は、トルコ国内や近隣諸国の治安の問題があるなか、五輪開催が同国の民主化に寄与することへの期待があったからです。
そもそも莫大なお金を投入して建設した箱モノを東京五輪後、どうやって運営していくのでしょう? 新国立競技場はコンサート会場にも使われるといわれていますが、私は神宮の森と調和して建つスポーツの殿堂が多目的スタジアムに堕する光景を見たくありません。
アテネ五輪後、少なからぬオリンピック関連施設が廃墟のようになってしまい、現在、巨額の債務に苦しむギリシャを否が応でも連想してしまいます。
急速な経済成長は望めず、人口減少の進行は必至(余談ですが、先に採決された労働者派遣法改正案は子供をもつ若い世代をさらに減らすと思います)という日本社会が、今後ギリシャと同じ道を辿る事にならないよう、「今さらもう後もどりできない」ではなく、着工前の、今からでも何かしらの手を打っておかなくてはと思うのです。
そもそも鳩山政権時代はコンバクト五輪を目指していたはず。リオデジャネイロや平昌の五輪準備で建設費増が大きな負担になっているなか、東京五輪が新しいモデルを提示してもらいたいのですが。
(芳地隆之)