この伊藤真先生の新著のタイトル(毎日新聞社刊)を読んだとき、最初のマガ9学校で講師を務めてくださった先生の姿を思い出しました。
それは講演が終わった後の、会場をお借りしていた㈱カタログハウス本社のロビー。車椅子で参加くださったマガ9読者の方に声をかけられた先生は、スーツ姿で片膝をつき、相手の目線より自分のそれを低くして、まっすぐ相手の顔を見ながら、言葉に耳を傾けていたのです。
この本からもそれと同じ、先生の真摯な姿勢が伝わってきます。集団的自衛権を中心に、その問題点を憲法上の視点から、戦争反対の立場から、そしてリアリストとして、真正面から論じる。たとえば、安倍首相が記者会見で母親や子供のイラストつきのパネルを使い、集団的自衛権を行使しなければ、朝鮮半島有事の際に日本人を輸送する米輸送艦を日本の自衛隊は防護できないと述べたことを取り上げ、そうした事例は個別的自衛権で対処できることを論理立てて説明します。また、国民の生命と財産を守るために軍隊は必要だという言説には、国民の生命と財産を守る組織は自衛隊や警察であると反論し、軍隊は国を守るためなら避難する国民を殺すことも辞さない、という司馬遼太郎氏のエッセイを紹介します。
深みと奥行きのある本書の内容は、手にとって読んでもらうしかありませんので、ここでは雑誌『SIGHT』(2014年8月号)で「戦争-安倍外交の果てにあるもの」という特集を組んだ渋谷陽一・編集長の巻頭言の一節を引用させてください。
「僕は日本はすばらしい国だと思う。社会も国民も、世界に誇れると思う。それを支えてきたのが憲法9条であり、集団的自衛権を行使しないという外交方針であり、何より国民の平和を願う気持ちであった」
私は海外に出かけて、自分が日本人であることでいやな思いをしたことがありません。たいていの人が親切にしてくれる。それは戦後70年近くかけて培ってきた日本人の「非暴力平和主義」が、自分の身にもついているからだと思っています。タクシーに乗ったり、バザールで買い物をしたりする際、日本人がぼったくられやすいのは、おそらく私たちが精神的にも丸腰であり、それが商売人に付け入る隙を与えてしまうからでしょう。それをもって「平和ボケ」と評する人もいますが、そんなときは騙されやすい日本人を助けようとしてくれる人が現れるものです。
日本国民の多くは9条から有形無形の恩恵を被ってきた。『やっぱり九条が戦争を止めていた』を読んで、そんな思いを強くしました。
(芳地隆之)
「本書(『やっぱり九条が戦争を止めていた』)では、日本国憲法の本質である立憲主義(憲法を最高法規として国家権力を 制限し、人権保障をはかる思想)に基づき、集団的自衛権行使容認にひた走る安 倍政権の政策の誤りを論理的に指摘しています。
憲法の専門家である著者は、安倍政権の政策が日本を戦争に向かわせる危険なものであると一貫して警鐘を鳴らしています。」
これがAmazonの「商品の説明」で書かれていた文章です。
『SIGHT』(2014年8月号)の特集内容も「安倍政権の政策が日本を戦争に向かわせる危険なものである」というスタンスで一貫しています。
まあ、こういうスタンスは安倍政権ではない自民党政権時代でも一貫している、いわゆる「反体制反米主義」という古典的スタンスです。
そして私としては、「表現の自由」があるゆえに、それを止めてしまえと言うつもりはありません。
ところで、渋谷陽一・編集長の「僕は日本はすばらしい国だと思う。社会も国民も、世界に誇れると思う。それを支えてきたのが憲法9条であり、集団的自衛権を行使しないという外交方針であり、何より国民の平和を願う気持ちであった」の発言は、伊藤真さんも同様な事をかつてマガジン9で連載していた時におっしゃっていました。
しかし、心の基軸が「反体制反米主義」であるゆえに、一貫してそれを主張し続ける事が出来ないのです。
「すばらしい国」「世界に誇れる」という戦後の時代の大半を自民党が担っていたという事実は、「反体制反米主義」では決して受け入れることはできません。
ゆえに、ひとたび近隣諸国の反日勢力から歴史認識や戦争犯罪などを追及され、「日本は危険な国だ」「ファシズム化している」と危険視されると、途端にその意見に同調し、「憲法9条」も「集団的自衛権を行使しないという外交方針」も「国民の平和を願う気持ち」も吹っ飛んでしまい、反体制運動や表現に勤しんでしまうのです。
そのような表現に勤しむ人々は、「九条が戦争を止めていた=自民党政権を憲法で縛ることで戦争を止めていた」という信念があるのでしょうし、伊藤真さんや芳地隆之はいまだにその信念を持ち続けているのでしょう。
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しかしながら21世紀に入って、「日本から戦争を仕掛けなければ戦争が起きることはない」という日本人の共通認識は急激に薄まっています。
「第10回日中関係世論調査(2014年9月9日発表)」では、「『日中間で軍事紛争は起きるか』との質問に対し、日本人の29.0%、中国人の53.4%が『数年以内に起きる』『将来的には起きると思う』と回答。」とあります。
http://www.recordchina.co.jp/a93956.html
こういう現実(と読者からの指摘)を受け、伊藤さんは「非暴力防衛」という概念を提示しました。
しかし、日本人が「非暴力防衛」をするようなシチュエーションに対し、伊藤さんの価値観では「戦争をしていることにはならない」という認識だったでしょうが、一般的な日本人の価値観からすれば、「侵略されて日本が敗北した」という認識以外の何物でもなく、本末転倒な様相を呈してしまいました。
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いずれにせよ、「第10回日中関係世論調査」は、一般的な日中の国民の間に「憲法9条」という存在が果たす「平和の構築」という役割を認めていない、あるいは軽視しているという現実を示しており、「危険だ」「ファシズム」という非難の声が日中の国民の心を支配しているという状況だといえるでしょう。
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先日、高市総務相と稲田政調会長が「ネオナチ」思想を掲げる活動家とのツーショット写真がニュースとなり、「危険だ」「ファシズム」という非難の声に油を注いでいます。
http://www.j-cast.com/2014/09/09215446.html?igred=on
「反体制反米主義」にとっては、安倍・自民党政権に大打撃を与えるチャンス到来でしょう。
とはいえ、日本が「危険だ」「ファシズム」という非難を増大させ、相互不信に陥っている近隣諸国の国民同士の心をさらに支配してしまい、「憲法9条」が無力化するリスクもあります。
今回もまたリスクよりもメリットを重視するのでしょうか?
そして、近いうちに安倍・自民党政権が打倒できるという賭けに乗り続け、「反体制反米主義」を続けるのでしょうか?
想田和弘さんは、「だって、間違いを認めても非難囂々、認めなくても非難囂々なら、認めない方を選ぶよね、人情として。」とツイートしていました。
もちろんこれは「朝日新聞の間違い」について述べられたことですが、「日本の間違い」についても、当然ながら当てはまる話でしょう。
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ところで近日、日本の最新型潜水艦をオーストラリアに供給する可能性がニュースで報じられています。
http://japanese.ruvr.ru/2014_09_09/277061476/
近隣諸国の日本非難の声に、「ドイツを見習え」という言葉がありますが、その言葉に従ったのでしょうか?
「戦う民主主義」で国家をあげてナチスに関するあらゆることを非難し、近隣諸国から尊敬されている国家体制のドイツは、世界第5位の武器輸出大国でもあります。
このような外交方針を「非難囂々」して、自民党政権を翻意させる自信が「反体制反米主義」にはおありなのでしょうか?
冷静に考えれば、正直難しいですよね…。
なぜなら、ドイツも中国も韓国も北朝鮮も、「武器輸出大国」なのですから。
「批判・非難」しかできない政治的表現の限界の一例が、この日本の武器輸出問題にあると私は思います。