今週の「マガジン9」

 『お熱いのがお好き』や『アパートの鍵貸します』など、しゃれたコメディで知られる映画監督、ビリー・ワイルダーの伝記(『ビリー・ワイルダー自作自伝』文藝春秋)には、幼少時の彼が、クラクフの「ホテル・シティー」で、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子とその妻がサラエボでセルビア人青年に暗殺されたとの報を聞くくだりがあります。
 彼の父は中部ヨーロッパの主要都市でレストランを展開しており、夏の間はクラクフの保養地で「ホテル・シティー」も経営していたのですが、一家は馬車を借りて、ウィーンへ戻ります。この事件を機に親セルビア感情の強いロシアが攻めてくると考えたからです。
 当時クラクフを含むガリチア地方は、現在のポーランドとウクライナをまたぐ、オーストリア=ハンガリー帝国の領土でした。100年前の国境はいまとはずいぶん違います。現在、ロシアとウクライナはクリミア半島の帰属を巡って対立していますが、現在の両国の歴史は1世紀も経っていない、新しい国境です。
 だからといって、むやみにいじるべきではないと私は考えます。民族の独立を求めたサラエボの銃声が、世界の各国を巻き込む未曽有の大戦争(第一次世界大戦)へと拡大していった歴史を振り返れば、なおさらです。
 かりにロシアが、クリミア半島に住む人々の多数がロシア人であるのだから、その地はロシアに属するという論理を通したとします。それに従えば、コーカサスをはじめとするロシア国内の少数民族の独立もロシアは認めざるをえなくなる。民族独立を正義として振りかざせば、それは刃となって自らに切りかかってくるでしょう。
 民族の分布図と近代国家の版図は一致しません。国家が版図を拡大しようとすれば、内部でより多くの対立や摩擦を抱えることになります。
 ちなみにクラクフから車まで40分ほどのオシフィエンチムという地は、第二次世界大戦中、アウシュヴィッツと呼ばれていました。ワイルダーは第一次大戦後、ベルリンに移住しますが、ユダヤ人であった彼はナチスが台頭するドイツを去り、米国へ向かいます。
 ロシアの動きをけん制する欧州連合(EU)の設立の根底には、民族間対立が2度にわたる世界大戦を招いてしまったという苦い歴史への反省があります。ゆえにウクライナ内部におけるウクライナ系とロシア系の分断の動きに対しても、EUは自制を求めている。
 今回のウクライナを巡る、ロシア、EU、米国の対立を当事国と住民がどう乗り越えるか。そのプロセスには、アジアに生きる私たちにも学ぶべきものがあるはずです。

(芳地隆之)

 

  

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