籾井勝人氏がNHK会長就任記者会見の場で、従軍慰安婦問題について「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの国を挙げ、「まだ飾り窓(売春街の意味)がある」とオランダを名指ししたというニュースを読んで、最初に浮かんだ疑問です。
同会長の発言趣旨を読むと、「日本だけが強制連行をしたみたいなこと」を言い、「お金をよこせ、補償しろ」と訴えっている韓国を批判しているのかと思いきや、欧州の国々にだって戦時中は従軍慰安婦がいたと話を広げ、はては「飾り窓」まで持ち出して、「あんたたちだって同じことやっただろ」と言い放つ。
相手かまわず喧嘩をふっかけて、四方八方から反発を食らい、謝罪せざるをえなくなるという、喧嘩の仕方を知らない人が陥るパターンです。結果、「日本の公共放送のトップは、戦争当事国にはどこにでも慰安婦制度があったと考えている」ことだけがワールドワイドに知られることになりました。
組織のリーダーとしての危機管理のなさが如実に表れた会見に唖然としましたが、公共放送のトップがなぜ日本にとって何のメリットもない発言をしたのか? 冒頭の疑問に戻れば、籾井会長は安倍首相に向かってエールを送るつもりだったのではないか。
「(安倍首相の靖国参拝に)総理の信念で行かれた。いいの、悪いのという立場にはない」「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」といった発言などは、同会長が首相の歴史認識や政治姿勢を忖度したものと考えれば腑に落ちるのです。
1月22日、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)出席のためスイスを訪れた安倍首相は、主要メディア幹部らとの懇談で、現在の日中関係を第一次世界大戦時の英独関係になぞらえ、それを受けて「日本の首相は中国との戦争を不可避とみている」というニュースが世界に向けて発信されました。
安倍首相は、現在の日中関係をかつての英独戦争のようにしてはならないというのが発言の真意だと言っています。そうなのでしょう。しかし、ヨーロッパのジャーナリストたちを前に日本の首相が英独の戦争を取り上げたら、聞く方はどう思うか。そこに想像力は働かなかったのでしょうか。
問題は「発言の真意が伝わらなかった」ことにあるのではなく、リーダーの言葉は一人歩きするという認識がなかったことにあると思います。
一国の危機管理、ひいては安全保障上、大切なものは何かについて考えされられる一連の発言でもありました。
(芳地隆之)
>聞く方はどう思うか。そこに想像力は働かなかったのでしょうか。
:
「<ダボス会議>安倍首相が中国をけん制? でも、ネットは意外に冷静『反論できるやついるか?』―中国」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140123-00000038-rcdc-cn&pos=1
このニュース(ダボス会議)に関して、中国版ツイッターには多数のコメントが寄せられている。以下はその一部。
「なんて恥知らずな日本人だ」
「われわれは普通に装備を変更しているだけなのに対し、日本は自衛隊を自衛軍に変更しようとしたり、空母建造を目論んだり。どちらが軍備を拡張しているか明らかだ」
「現在の中国は、第2次世界大戦前の日本に似ている。中国人は国家と党の所有物」
「軍国主義とファシズムは民主主義以外の国から生まれる。かつての日本や今日のどこかの国。恨みを植え付ける教育は、民衆を軍事に縛り付ける悪辣な手口」
「中国が軍事独裁国家だということは間違いない。反論できるやついるか?」
「中国は軍事費が不透明どころか、数十年にわたって公金が行方知れず」
ダボス会議での安倍首相の発言について、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、「第1次世界大戦との類推を誇張し過ぎるのは危険だ」と批判する一方、英紙フィナンシャル・タイムズのコラムニスト、ギデオン・ラクマン氏は、「安倍首相は好戦的ではなく、戦争は日中双方にとって悲劇になることを明確に発言した」と評価しました。
この様に今回の安倍発言には批判も評価もあるのですが、発言のポイントとして外務省は、「アジアは世界の成長センター。その成長の果実は、軍備拡張に浪費されるのではなく、さらなる経済成長を可能にするイノベーションや人材育成にこそ投資されるべき。アジアにおいて際限なく軍備が拡散されることを抑制しなければならない。軍事予算を透明にし、検証可能な形で公表すべき。危機管理のためのメカニズム、軍同士のコミュニケーション・チャネルを整備すべき。海洋に関し、国際法に基づいた行動を促すルールを整備すべき。」とまとめております。
私は軍拡抑制と国際法を基調とする安倍発言は平和主義の観点からしても心憎いものであり、とりわけ力を持たざるアジア諸国が日本も中国も国際法を順守するという未来像を聞いたら、歓迎する以外に無いと思います。
芳地氏を含め、日本の知識人の安倍発言批判をいくつか読みましたが、ナイ教授の批判を超える論理的批判ができておらず、所謂「批判の為の批判」的な印象のものばかりで、平和主義に質するものではないと思いました。
一方、安倍発言を「反論できるやついるか?」と評する中国人もおり、冷静な中国人の存在に希望が見えました。
>一国の危機管理、ひいては安全保障上、大切なものは何かについて考えされられる
>一連の発言でもありました。
:
危機管理や安全保障を念頭に考察し、安倍首相の発言を百歩譲って「想像力が働いていない」という批判が正しいのならば、そもそもの発端となった従軍慰安婦問題や歴史認識論争がもたらした、国内と近隣諸国にまたがる偏狭なナショナリズムの暴走による危機管理や安全保障へのマイナスの作用についても考えるべきでしょう。
先の大戦で侵略戦争に関わった一方、元日本兵の激戦の中で生死の境を乗り越えた矜持や、死んだ戦友を残して生き残ったという忸怩たる思い、その他、人々の諸々の複雑な感情が渦巻き、決して一面的に断定できない筈の問題を、左側の人々は身も蓋もない正義感によって一方的な責任追及をしたのですが、村山・河野談話というプラス面が出て以降、無理を押し通した反動が噴出し、現在の日中・日韓関係は国交正常化以降最悪です。
とはいえ責任を取れという訳ではなく、体制側(≒安倍政権)も、左派も共に中国との戦争を忌避し、国際法による秩序を希求するならば、戦争に直結するナショナリズムの暴走を食い止める共闘が出来はしないでしょうか?
体制側と左派が討議し、歴史認識を国際問題化させないマニュアルを作り運用する位のことはすべきでしょう。
今回のダボス会議での安倍首相の発言「今年は第1次大戦(の勃発)から100年目。英国とドイツは、戦争前に貿易で相互に関係が深かった。日本と中国も今、非常に経済的な結びつきが強い。だからこそ、そうならないよう事態をコントロールすることが大事だ」など、色々読んでみましたが、”心憎い”とまではいきませんが、特に問題は無いように思いました。なぜ、問題になるのか?よくわかりません。
ただ、上記ギデオン・ラクマン氏は、ブログで「首相は興味深いことに、紛争は論外だと言わなかった。日中間の緊張を、第1次大戦前の英独のライバル関係と比較し、『同じような状況だ』と述べた」とも発言しており、首相が軍事衝突もありうると示唆したと受け取れる表現で伝えた。英紙フィナンシャル・タイムズはさらに24日付の社説で「安倍首相の欧州の1914年との比較は、恐ろしく、怒りをかき立てる」と批判。25日付では、中国の王毅外相が「時代錯誤で当惑した」と酷評した同紙インタビューを1面で報じた。英BBC放送なども「1914問題」として相次いで報じた(yomiuri online)http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140127-OYT1T00184.htm
ヨーロッマのマスコミは、恐ろしいとおもいました。
しかし、籾井勝人氏の発言や安倍首相の靖国参拝は、かなり問題があると思います。ピースメーカーさんもよく引用される、在英国際ジャーナリスト 木村 正人氏のブログにはこうあります 「籾井会長の発言が安倍政権の意向とは思いたくないが、安倍首相をはじめとする「保守勢力」を自称する政治家やメディアは、東京裁判に端を発する歴史認識を「自虐史観」と激しく批判してきた。
それに対抗する意味で「自由主義史観」という名の運動が起きたが、歯止めがきかなくなった最近の論調に「居直り史観だ」という批判が保守陣営からも寄せられるようになった。
筆者が恐れるのは、海外から日本では「居直り史観」が主流になったとみなされることである。安倍首相は年末、靖国神社を参拝した理由を「恒久平和を誓う」ためと説明した。
しかし、世界は、靖国参拝の目的は東京裁判の否定、すなわちサンフランシスコ講和条約による戦後秩序の否定とみなしている。裏返せば、日本は先の大戦についてまったく責任がないという歴史認識である。
靖国参拝が「靖国史観」と受け取られ、籾井会長にみられる「居直り史観」と結び付けられる。一般の靖国参拝まで色眼鏡でみられるようになる。これでは靖国にまつられている戦没者があまりにもかわいそうだと思う。」 「そして今回も自称「保守勢力」が安倍政権を殺そうとしている。真の愛国者とはいったい誰なのか。いい加減に目を覚ませ。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20140126-00031999/
安倍首相の靖国参拝を一番喜んだのは、米国のバイデン副大統領と気脈を通じる中国の習近平国家主席だろう。日本の自称「保守勢力」が騒げば騒ぐほど、ほくそ笑むのは中国共産党なのだ。」
私も木村氏と同じく、「法の支配による現在の国際秩序の中で伸長していくことこそが中国の利益になることを根気よく説得していく努力を欠かしてはならない。」と思います。
その為には、現在の歴史認識を変更すべきでは無いと考えます。
<左側の人々は身も蓋もない正義感によって一方的な責任追及をしたのですが、村山・河野談話というプラス面が出て以降、無理を押し通した反動が噴出し>
右傾化の原因は、上記の様な理由からではなく、木村氏の言うように「貧富の格差が拡大し、健全な中産階級が弱体化すれば、右翼勢力が台頭するのは世の常だ。しかし、「右傾化のワナ」にハマれば、政治も経済も停滞を余儀なくされる。」とあるように、http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20140203-00032278/
格差の拡大が原因だと思います。
<戦争に直結するナショナリズムの暴走を食い止める>には、むしろ体制側と右派が協議し、歴史認識を国際問題化させないマニュアルを作り運用する方が、有効ではないかと思います。
ピースメーカーさん、共にがんばって行きましょう!
><戦争に直結するナショナリズムの暴走を食い止める>には、むしろ体制側と
>右派が協議し、歴史認識を国際問題化させないマニュアルを作り運用する方が、
>有効ではないかと思います。
:
私としても安倍首相の靖国参拝は現状を鑑みれば慎むべきだったし、籾井会長の様なむやみに火に油を注ぐような発言は論外だし、貧富の格差も縮小すべきであり、それは体制側に課された平和構築の為の宿題でしょう。
とはいえ左側の人々がやらかしたマッチポンプ(正確に言えばポンプ役は左側の人々に要求されて対応した90年代の体制)について、今後は自主的なものを含め規制されるべきでしょう。 つまり、「日本の戦前にはこんな戦争犯罪を犯した。 それにもかかわらず、今の権力側の連中はそれを反省しない。 だからアジアの市民は連携して日本の権力者を叩き、謝罪と賠償を要求しよう!」という類の方向性の運動や取材や表現は、今の東アジアの情勢を鑑みて今後は慎むべきでしょう。 例えば、籾井会長の様な人間に従軍慰安婦問題を問い質す様な大炎上間違いなしの質問を、ナショナリズムの暴走というリスクを鑑みて、あえて質問者側がしないという事です。 これを知る権利の侵害などと非難する人がいるでしょうが、それと戦争のリスクのどちらが大事かという事です。
>左側の人々がやらかしたマッチポンプ(正確に言えばポンプ役は左側の人々に要求されて対応した90年代の体制)について、今後は自主的なものを含め規制されるべきでしょう。
んーちょっと意味が解りませんが、慰安婦問題の事でしょうか?そうだとしたら、左翼の起こしたマッチポンプと考えるのはおかしいでしょう。慰安婦問題自体が、1991年8月に金学順さんが、韓国ではじめて実名で証言をはじめた事により、一般に知られるようになり、これが「慰安婦」問題が日本のなかで社会問題化、さらに国際問題化される契機となったのだと思います。そしてその後の1993年8月「河野談話」1995年8月「村山談話」に繋がっていったのだと思います。
慰安婦問題について、在英国際ジャーナリスト 木村 正人氏のブログから再度引用します。
>歴史認識について「どこの国にもあったこと」という論理のすり替えが通ると考えているのは日本だけだろう。
「お前もやったではないか?(ラテン語のtu quoque)」という反論的な質問は歴史を哲学的に問う手法としては意味があるのかもしれないが、日常生活では子供の口喧嘩でも「お前だって論法」は通用しない。まして政治、外交、国際社会では問題を難しくするだけだ。
ドイツ、フランスに加え、戦争捕虜(POW)と強制慰安婦問題を抱える「オランダ」の飾り窓を例に挙げたのは救いようがない。
籾井会長が大戦中の史実を知って発言しているとしたら、これは国家に対する最大の侮辱である。こうした日本の態度が韓国を硬化させてきたことはもはや否定のしようがない。
「強制連行はなかった」と主張した第1次安倍内閣の安倍首相はオランダから突き上げられて、「狭義の強制連行はなかったという意味だ」という苦しい弁明に追われた。
大戦中、旧日本軍占領中のインドネシアでは、日本軍がオランダ人女性35人を民間人抑留所から慰安所に強制連行し強制売春させたことは歴史上の事実だ。
オランダは、イラク復興支援のため陸上自衛隊が駐留するサマワを含む地域を警備してもらった国である。オランダ人が籾井発言を知ったとしたら、激怒するのは間違いない。
>従軍慰安婦をめぐって「軍が直接関与した組織的拉致と言えるような強制連行は朝鮮半島では行われなかった」という自称「保守勢力」の主張は、日本の責任を否定する意図で行われていると受け止められ、韓国だけではなく、欧米からも厳しい批判を浴びせられてきた。
欧米の価値基準から見れば、女性の自由意思に反して性行為を強制していたこと自体が問題で、国家としての責任は免れることができない。
>日本が最優先にすべき課題は従軍慰安婦問題を何度も何度も蒸し返すのではなく、戦後積み重ねてきた談話を維持することだ。
質問する海外や国内メディアが悪いのでしょうか?慰安婦問題を研究する歴史学者が悪いのでしょうか?又それらを規制すべきでしょうか?規制した場合、海外からどの様に見られるのでしょうか?
ナショナリズムの暴走の原因が、質問者や学者にあるのでしょうか?
慎むべきは、あくまでもこういった発言を繰り返す、組織や国のリーダーではないでしょうか?
① Hiroshiさんへ
>質問する海外や国内メディアが悪いのでしょうか?慰安婦問題を研究する
>歴史学者が悪いのでしょうか?又それらを規制すべきでしょうか?規制した
>場合、海外からどの様に見られるのでしょうか?
:
規制すべきは歴史の検証により過去を明らかにすることではなく、歴史を政治・外交的な武器として相手に謝罪と賠償を要求する運動や表現は相手のプライドを踏みにじり、反動と再反動のナショナリズムの連鎖をもたらしている為、それを規制して和解してくれという事です。 木村正人さんは、「『さまよえる靖国』戦争の真実と和解(9)謝罪リスク」という記事(http://kimumasa2012london.blog.fc2.com/blog-entry-406.html)でこう記しています。
“(抜粋)米ダートマス大学のジェニファー・リンド准教授は昨年11月、米外交雑誌フォーリン・アフェアーズに「謝らなくてごめんね」というタイトルの論文を発表した。 「戦後60年以上が経っても東アジアの関係は冷え込み、西欧の雪解けと硬直したコントラストをなしている。ドイツは何度も公式に謝罪、賠償・補償を行い、欧州と和解したのに対し、アジアでは過去の侵略に対する日本の謝罪は不十分とされている」
②「しかし、世界的な標準はドイツではなくて、日本なのだ。多くの国は過去の残虐行為をごまかし、自国の戦没者を追悼してきた。東京だけでなく、ワシントン、ロンドン、テヘラン、テルアビブ、世界中の保守派が論争を巻き起こし、謝罪要求に対して声高で否と答えてきた」
日本でも、謝罪が中国や韓国のさらなる謝罪要求や国内保守派の反発を呼び起こし、戦後和解の助けにならなかったことは1990年代の河野談話、村山談話を見ても明らかだ。
(中略)
“心から懺悔することが理想的だが、現実問題として謝罪は反動を引き起こし、和解の妨げになることすらある。だから日本は口先だけの謝罪を繰り返すよりも、加害の過去を直視し、認める方がアジア諸国との関係を改善できるだろうと、前出のリンド准教授は論文を締めくくっている。
領土・従軍慰安婦問題もあって日中、日韓関係は非常に難しくなっている。日本は主権国家のプライドを守りながら、戦後積み上げてきた談話と和解努力をしっかり踏み固め、過去を直視する誠実さが求められている。
2006年の日中首脳会談で日中有識者による歴史共同研究の立ち上げで一致したのは安倍首相である。加害の過去を否定するような戦後談話の見直しは状況を悪くするだけだ。(了)”
③木村さんも書いているように、誰かのプライドを踏みにじらなくても和解することができる、というよりも和解をする為には、まずは双方が双方に礼節を保つ事でしょう。 しかし「悪いのは○○だ!」という十字軍みたいなノリで、日本国内でも近隣諸国間でも「兵器を使わない宗教戦争」の様相を呈しているのが現状ではないでしょうか?
hiroshiさんは、妄言を吐く組織や国のリーダーや市民団体が一匹残らず駆逐するため、この仁義のための礼節無き争いを継続すべきとお考えですか? また、双方に不満があれど、これ以上の紛争を止める為、ヤクザ映画でお馴染みの「手打ちにする」という言葉がありますが、それはご自身の仁義に反するからお嫌いでしょうか?
イソップ寓話集で、”果樹園を荒らす狐を懲らしめようとした男が、罠でその狐を捕え、復讐心を満たすために尻尾に苧殻を結びつけ火をつけて放します。見ていた神様が、火を運ぶ狐を虐待した当人の畑へと導き、そこを燃え尽くさしてしまいます。豊作だった畑の悲惨な様を見て男は泣く。”という『火を運ぶキツネ』という話があります。
「いくら自身が被害者であると思っていても、それで自身を正当化して道理を外れた行為をした場合、のちに大きな厄災を招く。 だから許容心というものが必要である」2600年以上前の先人からの指摘ですが、それにもかかわらず同じことを現代人が繰り返すようでは、人類という存在は歴史から教訓を得るということが、ほとほと不得手であるという何よりの証左ではないでしょうか?
>妄言を吐く組織や国のリーダーや市民団体が一匹残らず駆逐するため、この仁義のための礼節無き争いを継続すべきとお考えですか?
ちょっと落ち着いて下さい。ピースメーカーさん。
駆逐しろとは、一言も言ってないですよ。
<歴史を政治・外交的な武器として相手に謝罪と賠償を要求する運動や表現>を規制(駆逐)せよと言っているのは、ピースメーカーさんの方ではないですか?
このマガ9の一部のコラムやコメントも規制せよという事になりませんか?
木村氏やジェニファー・リンド准教授も規制すべきとは言ってないでしょう。<だから口先だけの謝罪を繰り返すよりも、加害の過去を直視し、認める方がアジア諸国との関係を改善できるだろう><加害の過去を否定するような戦後談話の見直しは状況を悪くするだけだ>
木村氏も指摘してますが、<スイスのダボス会議で、安倍晋三首相は糸口を求めて韓国の朴槿恵大統領の基調講演に飛び入りで傍聴した。無思慮な籾井会長の発言は、そんな安倍首相を背中から突き飛ばして、崖から突き落としたのと同じだ。 >
私は、言論の自由は守られるべきだと考えますが、組織や国のリーダーは、影響力が大きいので、一般の人よりも、発言は気をつけるべきだと思います。
市民団体については、私は何も言ってないのですが、在特会などの事でしょうか?ヘイトスピーチの規制に関しては、今の所、よく解りません。
ヤクザや仁義、イソップ寓話の例え、よく判りませんが、中国の事でしょうか?
、「法の支配による現在の国際秩序の中で伸長していくことこそが中国の利益になることを根気よく説得していく努力を欠かしてはならない。」
いずれにしても、言論には言論で、話し合いで解決すべきでしょう。そのためにも<加害の過去を直視>すべきでしょう。