あけましておめでとうございます。本年もマガジン9をよろしくお願いいたします。
と、新春のご挨拶をしつつ、巻頭言は昨年暮れ、12月26日の安倍首相による靖国神社参拝が国際社会に残した禍根についてです。
首相はその前日、沖縄県の仲井真知事に普天間基地の代替施設として、辺野古での基地建設を認めさせました。想像するに、これで米国には「貸し」をつくったので、自分が靖国神社を参拝しても米国は黙認してくれるだろうと踏んでいたのではないでしょうか。もちろん中国・韓国からの反発は想定済みです。
しかし、ご存知のとおり、米国政府が発したメッセージは、靖国参拝が東アジア諸国との緊張を高めたことに対する「失望」でした。それだけではありません。EUやロシアからも懸念や遺憾の発言がなされました。
一方、中国の姿勢には変化が見られました。今回、同国政府は国内の反日デモを押さえつけたのです。これは中国政府がデモの矛先が自らに向かうのを警戒するという理由だけでなく、反日デモが国際社会に中国のマイナスイメージを与えることを認識しているからだと思います。
日本の首相の靖国参拝が海外に及ぼす影響として、これまでは中韓両国の反応ばかりが取り上げられてきました。ところが今回を機に、今後、日本の首相が靖国神社参拝を行う際には、米国やロシア、ヨーロッパ諸国などからの反発も覚悟しなければならなくなった。昨年の橋下大阪市長の慰安婦に関する発言同様、日本の歴史認識に関わる問題が広く国際社会に周知されることになったのです。
各国からの批判に対して、日本国内では「内政干渉だ」という反発の声も上がっています。しかし、私は、グローバル化の時代において、内政干渉はより当たり前のことになっていくと考えます。ヒト、モノ、カネが国境を越え、ときには相手国の市場開放を強く求めるのであれば、思想や哲学、歴史認識も内向きではいられないと思うからです。
日本政府が今回の問題をどう捉えているのか。一国のリスク管理(=安全保障)が問われるものであり、しかるべき対応をとらないまま、今年6月に開催予定のロシア・ソチでのG8、北京でのAPEC(アジア太平洋経済協力)という、各国首脳が一堂に会する場に安倍首相が立った際、はたして要人たちと胸襟を開いた意見交換ができるのか。とても心配です。
(芳地隆之)
ある意味これは避けられない流れなんだから、日本の市民運動も「憲法九条」使って、バンバン他国のおかしい所に文句言ってくべきなんじゃないのかな〜?
ほんとですね。グローバリズムの流れもあり、なんでもバレバレになってしまう今、これほどまでに内向きな歴史観とか持っている偏狭な人が首相だなんて恥ずかし、と思うと他国の批判に対しても、どっか腰が引けてしまうところもあるんだけれど、おかしいところは「おかしい」と言っていくの、必要かもですね。
>ヒト、モノ、カネが国境を越え、ときには相手国の市場開放を強く求めるのであれば、
>思想や哲学、歴史認識も内向きではいられないと思うからです。
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>ある意味これは避けられない流れなんだから、日本の市民運動も「憲法九条」使って、
>バンバン他国のおかしい所に文句言ってくべきなんじゃないのかな〜?
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なるほど、確かに靖国問題では内政干渉によってA級戦犯の分祀といった事態に陥ることもありうるでしょう。
しかし、今のままでは、内政干渉を受けるのは憲法9条を旗印にした平和主義思想だと思います。
憲法9条に基づく平和主義思想をグローバルな観点から見れば、ごく少数の平和主義者には絶大な評価を受けていますが、それを(日本が持つことを望むが)持つことでリスペクトをするわけではない、あるいはその存在を全く関知していないというのが圧倒的多数だからであり、それでは9条を使って文句を言っても馬耳東風でしょう。
アメリカの内政干渉以上に、憲法9条を持ちながらの(国際平和維持活動などの)外交政策のやりにくさは日本政府にとって間接的な内政干渉であり、今のままの内向きは平和主義思想では憲法9条の危機を招くことでしょう。
グローバリズムの観点からすれば、旧態然のガラパゴス化した憲法9条に立脚した内向きな平和主義思想では、外側への発信力の強い安倍首相の積極的平和主義に絶滅させられるだろうと見做されていることでしょう。
「積極的平和主義は、上記のように専守防衛、非核三原則、軍縮、大量破壊兵器不拡散、国際平和協力活動などの平和国家の理想を引き続き追求する。同時に、国家、アジア太平洋地域及び国際社会の平和・安定・繁栄を脅かす脅威に対し、国際協調主義に基づいて、外交、防衛を中心に金融管理、通商管理、出入国管理、検疫、医療、防災、警察、食料、資源・エネルギーなど関係当局を総合して体系的な政策を立案し対処しようとする複合的理念(以上Wikipediaより)」というように、(パックスアメリカーナに依存した)日本の戦後民主主義や平和外交政策を継承しつつも、グローバル化した今の国際社会にマッチングさせた明確な指針がある一方、9条護憲平和主義思想の実態はあくまで反政府、反米を基軸とした内向きな政争の武器の一つに過ぎず、机上の空論ならばいくらでもあるけど、実質的な平和構築のための方策として活用できた実例は、(伊勢崎賢治氏らによる)いくつかの事例しかないという歴史的事実があるからです。 さて、こういう指摘をする者をネトウヨだのと罵る前に、平和主義という思想そのものを考え直すべきでしょう。 積極的平和主義よりも9条に立脚した平和主義をグローバル化した国際社会にマッチさせる方策を、知識人と呼ばれる人々が提示することを私は望んでいます。
新年からブレてるように感じます・・・大丈夫ですか?心配です・・・
グローバル化を時代の流れとあきらめて迎合するのは、大手マスコミ、経済紙にまかせておけばいいのでは?
格差社会を改善するためには、グローバル化の問題点の指摘・改善策が重要なのに・・・
内政干渉を当然のこととするのもおかしいです。
その論理でいくと、アメリカ軍需産業がアジアで儲けたいから憲法9条改正しろというのも当然のことになってしまいます。
国民主権はどうでもいいですか?まさか、グローバル大企業主権?恐ろしい・・・
花田さま コメント、ありがとうございます。私はグローバル化とグローバリズムは別ものであり、前者はヒト・モノ・カネだけでなく、ネットに代表される情報が瞬時に世界中へと発信される現状、後者は多国籍企業等、いわゆる「勝ち組」にとって都合のよい市場のルールの世界のスタンダードにする考え方、と理解しております。世界の国々は置かれた自然環境、産業構造、文化的な土壌は様々であり、それらを抜きに自由競争のルールを敷こうとするく横暴に歯止めをかけるためには、むしろグローバル化による世界の人々の情報共有が大切ではないかと思うのです。また、国家間の戦争を回避させるという目的のためには、国家主権の制限は「あり」ではないかとも。雑駁な物言い、ご容赦ください。