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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

寄らば大樹

 「寄(よ)らば大樹(たいじゅ)の陰(かげ)」という諺がある。
 昔は、ただ日差しを避けたり雨宿りのためには大木の下がよいという実利にすぎなかったが、第二次大戦後では、上手に生きるには「有力なものを頼れ」という教訓に使われているようだ。

 とすると、戦後の「民主主義」とか「自立」といったお題目が、どれほど身に付いているのか、心許なく思えてくる。

 事実、願い事はマチやムラのボスに頼むとか、カイシャで出世するには上役にゴマをするとか、子どもの進学や就職は議員に口をきいてもらうといったことが、陰に陽に行われている。

 役所も、いまだに「お上(かみ)」と思われているみたいで、そこからきた通知に逆らう人はきわめて少ない。おおかたの住民は、不満や疑問を感じても、陰でブツブツいいながら、渋々従っているみたいだ。

 もっと大きな国や世界の問題でさえも、ワンマンというか強引な指導力を発揮する政治家に期待する向きが、けっこう多い。

 なんたる情けなさだろう。
 それでも利益を得さえすればよいのかもしれないが、はたして、どんなものか。
 だいいち、こうした世知は、その実、きわめて危ない。
 かならずしも、上手で気楽な処世術とはかぎらないのだ。

 早い話、「大樹」は、絶対に安全とはいいきれないだろう。
 雷は落ちやすいし、毛虫が落ちてこないともかぎらない。
 あまりの古木だと、朽ちて倒れるやもしれないのだ。

 現に、「偉いお人」や「お上」でも、信用はならない。
 過ちはけっこうするし、ごまかすし、わざと欺きもする。ときに冷酷でさえもある。
 卑近なことでは、ボスや上役や議員の対応はおざなりが多いし、役所は上意下達に汲々とするだけだ。
 こと政治ともなると、それこそ「有力なもの」に媚びを売り、庶民には「痛み」を押しつけがちだ。

 けれど、さすがに、事情は、しだいに変わりつつある。
 これだけ、ひどい目にあってくれば、もう大樹は当てにはならない。いや、大樹に寄っていてはならないということに人々は気が付き始めている。

 ただ、気が付き始めてはいるけれど、その代わりの生き方に戸惑っているのが正直なところだろう。

 建前でいえば、なにごとも自分でする。そして、自分だけではできないことは、他人と協力する。それがいちばんいいのだろうが、簡単なようでいて、けっこう難しい。だいいち勇気がいる。他人もなかなかに応じてはくれない。徒党を組んでも、人間関係でトラブって、長続きしにくい。

 しかし、それにしても、まずは、勇気を持たなければ、何事も始まるまい。
 そして、他人と徒党を組むのなら、できるだけ緩やかなのがよさそうだ。性質や意見の違いはつきものだから、目くじら立てず、対等に自由を認めるようにしたらどうだろう。

 「寄らば大樹の陰」よりも、そんな度量を持つことこそが「民主主義の成熟」をもたらすにちがいない。

信用ならない「大樹」の陰で、その一挙一動に振り回されるよりも、
自立しながら緩やかに協力しあうほうが、きっと安全で快適。
この教訓、個人にも、国にも当てはまりそうです。
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