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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。
もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」
盛夏。お中元の時期だ。
だが、その習わしは、年々、さびれつつあるという。たぶん、不景気のせいが大きいのだろう。
現に、ぼくのごとき町医者が頂戴する物品も、目に見えて減ってきている。
これには、正直いって、ちょっぴり寂しい気がしないではない。なにしろ、十年くらい前までは、部屋の隅に積み上げるほど豪勢だったのだ。
しかし、当時の戴き物の大半は、有り体に言って、儀礼にすぎなかったようだ。
それはそうだろう。そもそも、贈答という行為には、世渡りの小賢しさがつきまといがちなのだ。
だからこそ、受け取ったほうは、贈り主に、愛想を良くしなければならなくなる。
けれど、だからといって、ぼくは、全ての贈答を否定する気にはなれないでいる。
なにしろ、贈答という行為の中には、小賢しさの一片もうかがえない場合がある。
ぼくの場合でいえば、重い病気が治った子どもが「センセ、アリガトウ」と、チョコレートでもくれたら、すごく嬉しい。たとえ、それが溶けかかっていてもだ。
そんな贈答なら、あってよいのではないか。いや、正直なところ、あって欲しいとさえ願う。
ただ、それにつけても、思うように贈答をできなくさせている生活の困難は、それこそ人の心の叫びとして、ぶっ飛ばさなければなるまいと思う。
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