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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』(9)

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

人を動かすもの

 「理論は、人をとらえるやいなや、物質的な力となる」とは、たしかマルクスがいったことだ。
 表現はこのとおりではないだろうが、有力な行動は理論によって起こされるという意味であるにはちがいない。

 たしかに、そういうことは、歴史上少なからずあった。マルクスの流れでは、ロシア革命と中国革命に、顕著にうかがえる。

 だが、しかし、そんな場合でも、はたして理論だけで人々は動いたのだろうか。
 リーダーはともかく、主力となった大衆が理論で立ち上がったとは、とても思えない。 
 多少は理論に触発されるところはあったろうが、それよりも、身辺の切実な動機に駆られてのことにちがいない。

 まして、百姓一揆とか米騒動のような大衆行動は、ほとんど理論とは無縁であったろう。それらは、突き上げられるような「やむにやまれぬ」行動であったにちがいない。

 どうやら、人々は、待ったなしの利害と感情でこそ動く。知性とか理性といったもので動くのではないのだ。

 とすれば、なにかの社会的な運動を喚起しようと企てる者は、そうした大衆の利害と感情に訴えかけなけなければなるまい。
 いや、訴えるよりも、そこにこそ、しっかりと足場を置かなければならないだろう。

 ただ、利害と感情は、私欲に基づくもの。ときに、暴走を起こしかねない。下手をすると、ファシズムさえ招くかもしれない。

 とすれば、まさに、その利害と感情をこそ深く吟味する必要がある。
 利益になると思っていることが、実は有害であるのかもしれない。「けしからん」と感じていることが、実は有り難いことなのかもしれない。

 理論に役割があるとすれば、そうしたことを掘り下げて考えるところにあるような気がしている。

「動く」前に立ち止まって、もう一度「利害と感情」を理論で見つめ直してみる。
なんだか、最近の世の中にとっても必要なことのような気がしてなりません。
感情と理論のバランスを取ることの難しさと大切さを痛感させられます。
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