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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』(5)

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

「よろしく」の構造

 「よろしく」は、ただの挨拶なのだろうか。
 初対面の人どうしは、たいてい「よろしく」といいあう。テレビやラジオでも、少しかしこまった番組だと、出演者たちが必ず「よろしく」を交わす。
 まるで、礼儀のマニュアルになっているようだ。

 だが、どうも、それだけではない。
 そこからは、なにがしか、さもしい感じが漂ってくる。いやしい打算、もたれ合いのような腐臭。

 とりわけ、商売とか事業とかで、取引の関係にある人どうしでは、そんな腐臭が濃厚だ。そこでの「よろしく」は、露骨にいえば、お付き合いを深めてほしい、便宜を図ってほしいという意味にほかならない。

 しかも、こうした談合めいたことは、世間に広く行き渡っている。なにも政官財にかぎった話ではないのだ。

 その見本が、同窓会とか同郷会での風景。目下は直接の利害のない相手に対しても、ぬかりなく名刺の交換をする人が多い。異業種であっても、将来もしかして関係を生じるかもしれないと考えての布石だ。

 たとえ、それほどの魂胆がない場合でも、「よろしく」の一言は、自分を守るよすがになりえる。

 まずは、「お手柔らかに」してもらえそうだ。相手と意見や行動が食い違っても、あまり追及しないでという卑屈な期待。

 そして、そのことは、互いの違いを曖昧にもする。
 例の「まあまあ」といったはぐらかしだ。 もちろん、それも、ごく些細なことなら、暮らしの知恵として必要ではあると思う。
 しかし、重大な違いのある場合まで、曖昧さを残していたら、事態をより深刻にしてしまうだろう。

 そういえば、テレビやラジオでも、一般の市民集会でも、たいてい、事前の「打ち合わせ」がなされる。
 あれも、「ことなかれ」の予定調和。内容を曖昧にする元凶になっていはしまいか。

 まして、社会的・政治的に責任の大きい組織や集会ともなると、曖昧な結論しか出さないことが多い。
 そこでこそ、「よろしく」が大技を働かせているにちがいない。

 それやこれやで、「よろしく」は、日本の精神文化の致命的な欠陥ではないかと思えてくる。

何の気なしに口にしてしまう「よろしく」。
もちろん、必要な場合もあるのだけれど、
それで済ませてはいけない場面が多々あるのも事実です。
あなたが今日口にした「よろしく」は、さてどちら?
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