「これからのわが国はどういう国をつくっていったらいいのだろう」
ほとんどの国民が一斉にこのテーマに取り組んだ時代がありました。私が小学4年生のときに経験した敗戦からの数年間です。示されたモデルは、「アメリカの民主主義社会」と「ソ連の平等主義社会」。
ご承知の通り、多くの日本人は「アメリカの民主主義社会」を選びました。「民主主義をとり入れると、ほら、こんなに物質的に豊かになれるよ」というサンプルを、アメリカさんは進駐軍の救援物資やアメリカ映画を使ってさんざん見せびらかしたからです(※)。見ている私たちは毎日お腹を空かせていたので、苦もなく手を挙げました。
※ロバート・スクラーは『映画がつくったアメリカ』(鈴木主税訳・平凡社・80年)の中で、1923年(!)に書かれたロンドン・モーニング・ポストの次の文章を引用しています。
「たとえアメリカが大使館と領事館を廃止し、船を港から出さず、旅行者を国から出さないようにして世界の市場から撤退したとしても、アメリカの市民、アメリカの問題、アメリカの都市と田園、アメリカの道路や自動車や会計事務所や酒場は、世界の最も辺鄙な場所でも、なお、なじみのものでありつづけるだろう……。アメリカにとって映画は、かつてのイギリスの国旗と同じようなものなのだ。これによって、合衆国は、いつの日にか――それまでに阻止されなければ――世界をアメリカナイズする日がくることを楽しみにしているのかもしれない」
アメリカのような民主主義社会をわが国にも実現する――これが戦後日本人の目標となりました。知識層にとっては個人の自由を謳歌できるよろこびのほうが大きかったかもしれませんが、戦争のおかげで極貧生活を強いられてきた庶民にとっては衣食住の物質的贅沢こそが「民主主義」の魅力。デモクラシーを「でも暮らしいい」と訳し、飢えを解消してくれる明るい資本主義と解釈して歓迎しました。
アメリカから与えられた「日本国憲法」は、そんな明るい資本主義の理念でした。戦前のわが国に存在した暗い資本主義とはまるで別物の、働く者の権利を大切にしてくれる民主主義型の資本主義。
先述したように私の場合は、貧困からの解放は「ソ連の平等主義社会」のほうが有効性は高いのではないかと一時期考えたことがありますが、日本国憲法の「基本的人権と憲法9条を守る」は私の生涯の理念になりました。それはそうでしょう。私は中学一年のときにこんな教科書で学んだ戦後民主主義世代だからです。
もっとも、文部省がつくったこの中学一年用社会科教科書は4年と7ヵ月使用されただけで、52年4月から姿を消してしまいました。米ソの対立から朝鮮戦争が誘発され、あわてたアメリカの強要によって日本にも軍隊(50年・警察予備隊→52年・保安隊→54年・自衛隊と改称)がつくられてしまったからです。
そして今、65年前の敗戦時につづく第二の国の破産に私たちは直面しています。今回の破産の原因は戦争ではなくて、私たちの選んだ明るい資本主義、いま風に言うとグローバル資本主義の理念であった自由と平等の破産です。
自由は強者が弱者を収奪する自由となって平等を破壊しました。考えてみたら、自由と平等は本質的には矛盾する理念なのでした。各々に生まれついた能力は平等ではないからです。格差はこの矛盾から生まれたものです。
したがって、これからの国づくりに必要な理念は「博愛」です。私の若い頃、民主主義はしばしば「自由・平等・博愛」の3点セットで語られていたものです。自由と平等は博愛を媒介しないとケンカしてしまうからです。
「博愛」とは何か。ひろい愛とは何か。
他人の困っている状態を一刻も早く改善したいと願う気持から生まれる無償奉仕の行動。見返りを求めないこの行動はしばしば「お互い様」という相互扶助のかたちに変化する――この定義は辞書類の定義とは少し異なるかもしれません。山本周五郎から教えられた定義ですから。
鳩山政権が誕生したとき、かれが表明した政治理念の「友愛」は大方の世論に「なんて甘っちょろいこと言ってるの」といった受けとめ方をされましたが、私はけっこう本気で期待したのです。それって、私の「博愛」の親戚じゃないかと思って。
もっとも、私がこうして「博愛」を口にしても、鳩山首相の「友愛」と同じ反応になるのでしょうね。これがたとえば中村哲さんや湯浅誠さんの口から「これからの社会の柱になる理念は博愛でしょう」と語られたら、ストレートに受け取られるのでしょうが、博愛活動の業績を上げていない鳩山さんや私では説得力がありません。
したがって、大きなことを言うつもりはありません。私のいう「博愛」は、それぞれの人の身の丈に合った博愛の実践です。小売業で暮らしてきた私の場合で言うと、次の小売政策なら私なりの「博愛」を実践できるのではないかと考えています。
〈できるだけ、メイド・イン・ジャパンの販売を増やしていく〉
なんで、これが「博愛」になるのか。「日本製」が売れれば、製造雇用を増やせるからです。
国産品と外国製品 | 製造 雇用 |
販売 雇用 |
|
---|---|---|---|
(A) | 国内の原料を日本製品にして、 国内消費したり輸出していく |
○ | ○ |
(B) | 輸入した原料を日本製品にして、 国内消費したり、輸出していく |
○ | ○ |
(C) | 海外原料でつくられた外国製品を 輸入して、国内消費していく |
― | ○ |
資源の少ないわが国では、食品業界以外に(A)の可能性はあまり見当りません。本来は国内の森林資源で建築業界や家具業界も活性化させないといけないのですが。
戦後のわが国はもっぱら(B)で経営されてきました。とくに(B)の輸出は朝鮮戦争の特需から始まる戦後経済成長の原動力でしたが、新興国の進出によって輸出大国の地位はおびやかされ、現在の製造雇用の減少原因になっています。
さらに製造雇用の減少に拍車をかけているのが、(C)の肥大化です。輸出市場で減少している(B)の製造雇用はさらに(C)の「外国製品」の急増によって今、息の根をとめられようとしています。(C)の「外国製品」の大半は、日本の企業が日本の消費者のために外国の工場で外国の労働者につくってもらっている日本製品だからです。
日本のメーカーが日本の消費者向けに家電、服、生活雑貨といった衣食住商品をつくろうと企画するとき、国内の工場よりも外国の工場でつくったほうが「人件費が安い」=「原価が安い」=「安い販売価格をつくれる」ので、製造は途上国や新興国の労働者にゆだねる手法がいまは主流になっています。
この手法を定着させたのは価格破壊の風潮です。
価格破壊――資本主義の衰退、いや退廃はこの4文字から始まりました。人類が初めて体験した高度消費社会の90年代、日本の標準的消費者はさすがに欲しいものがなくなり、よほど価格が安くないと購買欲望を刺激されないようになりました。消費者を刺激する「安い価格」はすぐに競合メーカーの模倣によって「当り前の価格」になり、さらなる「安い」競争=「安い人件費国」競争にステージを移していきます。
一体、「日本の労働者を使ったらとても高くつくから日本の消費者にソッポを向かれてしまうよ」というときの「安い価格」とは何なのでしょう。よく私たちは「適正価格」を口にしますが、何をもって「適正」とよぶのでしょうか。
コストは、高い安い以前に、人間的か非人間的かで考えるのが、資本主義社会における基本的人権の尊重のはずでした。最貧国の児童労働で「安い価格」をつくり出したメーカーは国際的に非難されましたよね。
すなわち、「正社員」の賃金をもらう自国の労働者がつくるコストが本来の「適正価格」です。途上国の貧困につけこんで、その貧困の上にしか成り立たない価格は「安い価格」ではなくて、「異常価格」、「搾取価格」、「非人道価格」でしょう。もし、「途上国での日本製品づくりは途上国の雇用促進に役立っている」と日本の商社やメーカーが胸をそらすとしたら、日本の労働者と同じ賃金を途上国労働者に払わなくては道理に合いません。
途上国の貧困につけこんだ「メイド・イン・途上国」は、わが国の労働者から仕事を奪い、収入を奪い、結果、この先のわが国をモノをつくれない国にしてしまうところまできてしまいました。メーカーによる価格破壊を裏返してみると、「より安い」をメーカーに要求する小売者や消費者による国内製造雇用の破壊なのでした。
この事情は欧米の先進国も同じです。私のところにはデロンギヒーターというイタリア製のロングセラー品がありますが、そのデロンギ社もライバル社の低価格ヒーターに対抗するためにデロンギヒーターを中国の工場でつくらざるを得なくなりました。
この先、先進国内の製造雇用はどこまで減少していくのでしょう。先進国の産業構造を根元から崩壊させていく「コスト主義」という化け物を退治することこそ、ポスト資本主義社会づくりの第一歩です。そして、世界中に猖獗(しょうけつ)をきわめているこの「コスト主義」を退治できる主義があるとしたら、「コスト主義」の対極にある「博愛主義」だけだと思うのです。
山本周五郎の小説に『ちゃん』(昭和33年)という、『かあちゃん』によく似た話があります。『かあちゃん』は強い母と子の一体化の物語ですが、『ちゃん』は弱い母と子の一体化の物語です。
弱い母を演じる主人公は火鉢職人の重吉。漆の下地掛けにまる九十日も要するほど手間のかかる「五桐火鉢」を作っていますが、世間の好みが変わってしまって、使い捨ての安物がヒットしています。昔の仲間はそれぞれ時流にのって低価格火鉢をつくって儲けています。昭和30年代の海外向け低価格商品のつくり手は日本人でした。いまのメイド・イン・ジャパンは高品質の代名詞になっていますが、この当時のメイド・イン・ジャパンはすぐ壊れる安物の代名詞として海外に流布していました。
さて、仲間は低価格火鉢に転向しましたが、重吉だけは売れなくなってしまった高品質の「五桐火鉢」にこだわっているので手間賃はさっぱり。とても家族を養えません。そこで女房は内職し、4人いる子どもの上2人も魚売りになって生活を支えています。
重吉はその鬱屈から、毎晩のようにわずかの手間賃を酒代に遣ってしまい、「銭なんかない、よ、みんな遣っちまった、よ、みんな飲んじまった、よ」とくだを巻いて帰ってきます。この酔っぱらって帰ってくるシーンは数ある周五郎の市井物名場面の中でもベストワンと言っていいくらいの名場面ですから、ぜひ読んでみてください。
そんな重吉を心配した昔の仲間たちは安物火鉢への転向をすすめますが、重吉はことわってしまいます。「女房子にや済まねえが、おらあ職人の意地だけは守りてえ。(略)それを、あの金六町はいやあがった。火鉢は火鉢だって、ひばちは、ひばち……」
飲み屋でこぼしたそんな愚痴を気持よく聞いてくれた見知らぬ客の優しさがうれしくて、その客を家に連れてきて泊めますが、重吉が酔いつぶれたすきにその客は家の物を盗み出して消えてしまいます。さすがにショックを受けた重吉は「父帰る」ではなくて「父出ていく」を実行しようとしたところを女房と4人の子どもに見つかってしまいます。
女房に、なぜ出て行くのかと問われたときの重吉の返事はこうです。
おらあ、だめな人間なんだ、職人の意地だなんて、口では幅なことを云ってる、むろん意地もなかあねえが、おれだって人間の情くらいもってる、てめえの女房子に苦労させてえわけじゃねえ、できるんなら当世向きの仕事をして、おめえや子供たちに楽をさせてやりてえんだ、そう思ってやってみたけれど、幾たびやってみてもできねえ、いざやってみるとどうしてもいけねえ、どう自分をだましても、どうにもそういう仕事ができねえんだ。
重吉はどうしても自分の技術から離れられない誇り高き職人なんですね。そんな現代の重吉たちが集まっている町の一つに、「ステンレス調理器具(器物)」と「ステンレス洋食器」の高級品産地として海外にまで知られる燕市があります。
ここのもともとは農村で、17世紀の天領時代に信濃川氾濫に苦しむ農民の副業として代官が「和釘」づくりを奨励したことから、一躍、和釘の産地になった地域です。開国によって大量生産を可能とする「洋釘」がやってきて、和釘はあっけなく全滅しますが、どっこい、和釘職人たちは近くの間瀬銅山から採った銅を材料として「鍋、やかん、花器」「やすり」「きせる」製造に転換し、その銅をステンレスに変えて今日に至っています。そんな工業国日本の象徴のようなモノづくりの町が、いま、どんな状況にあるかを、「96年」(ステンレス調理器具などをつくる金属器物の事業所数がピークに達した年)と最新の「08年」で比較してみます。
●金属器物の事業所(燕地区・4人以上) | ||
96年 | 事業所数 | 423社 |
---|---|---|
従業員数 | 2、828名 | |
08年 | 事業所数 | 91社 |
従業員数 | 1、384名 |
●金属洋食器の事業所(燕地区・4人以上) | ||
96年 | 事業所数 | 269社 |
---|---|---|
従業員数 | 1、736名 | |
08年 | 事業所数 | 53社 |
従業員数 | 503名 |
(燕市工業統計調査より)
燕市の「メイド・イン・ジャパン」はここまで衰退し、さらに悩ましいことに、その衰退の中に「部品・中国製」の誘惑が忍びこもうとしているのです。
燕市にある私の会社の取引先の一つ、(株)玉虎堂製作所の代表取締役専務、柄沢好児さんの名刺には「マルタマの製品は全て日本製です」と刷りこまれています。マルタマというのはこのメーカーがつくっているステンレス製調理器具の商標です。なぜ、柄沢さんはわざわざ「日本製」を名刺に刷りこんでいるのか。
「極端な話、ヤカンの柄と容器部分がそれぞれ外国製でも、私の工場でその二つを輸入して接着すれば私の会社がつくった日本製になってしまうのです。おかしな話ですよね。いまのようにつくる側も買う側もコストばかりを考えていると、本物の日本製、つまりモノづくりの伝統が消えてしまいます。ステンレス製品でいうと、ミラー仕上げという研磨加工がとても大切な技術で、たとえば丸盆を磨き上げる場合、力を入れすぎると歪むことがありますから、丸盆の磨きならAさんにまかせるというふうに、研磨専門職人にかぎっても商品のかたちによって得意、不得意がわかれるのです」
「日本製」と表示してある以上は、原料はともかく部品の80%以上は日本の工場でつくられているだろうとイメージしがちですが、現実は部品が100%外国製であってもそれを使って組み立てたのが日本国内であれば、その商品は日本メーカー名をつけた「日本製」と表示できるのです(※)。
※商品がどこの国でつくられたかを消費者に示す「原産国表示」は昭和49年に施行された不当表示防止法に準拠していますが、いくつもの部品やパーツが複数国に分かれて製造され、それらをまとめて一国で完成品に組み立てるという国境を越えた製造方法が普及するにつれて、「最終的に完成品に組み立てた国」を「原産国」とする解釈が定着しました。公正取引委員会のわかりにくい表現を引用すると、「その商品の内容について実質的な変更をもたらす行為が行われた国」となります。
燕市には、重吉や栄二やさぶみたいな職人さんがいまでも活躍しているのですが、腕のいい日本の職人さんを使っていたらコストがかかって消費者の望む値段ではとてもつくれない。その結果が「08年」の従業員数です。昭和30年代の重吉は家族に引きとめられて家出しないですみましたが、現代の重吉は本当に家を出て行くしかないのです。日本金属ハウスウェア工業組合の理事長でもある柄沢さんは、その組合員たちに、いま、「何をもって日本製と表示するか」という定義づくりをよびかけています。高い職人技術に裏うちされた高品質のメイド・イン・ジャパンをつくり出すことで、燕市にかつての活気をとり戻そうというのです。
メイド・イン・ジャパンの商品づくりは、そのままメイド・イン・ジャパンの国づくりに通じます。
私たちは、何をもって「日本国」と表示するのか。
コストや効率を最重要視してひたすら経済成長の道をつき進む国を「日本国」と表示するのか。
コストや効率よりも重吉や栄二やさぶの雇用を最優先して、経済成長はゼロになってもいまの異常価格から正常価格へ、いまの狂気価格から正気価格へ戻る国を「日本国」と表示するのか。
商品価格が正常に戻れば、高いから大切に永く使う、高いだけあって永く使える昔の時代にはぐくまれた「もったいない」精神が復活します。これまでの「使い捨て需要」から、「もったいない需要」への転換が実現します。
むろん、日本メーカーのつくる「外国製」の輸入を規制することはできません。それどころか、もし今、そのような「外国製」の販売を中止したら私のところのカタログから大手の家電品は一斉に姿を消してしまいます。
まさに、言うは易く行うは難しですが、小売としては自分の扱っている日本メーカーの「外国製」を「日本製」につくり替えてもらうよう、一点一点メーカーさんに働きかけていくしかありません。その働きかけが成功して、切り替えた「日本製」を消費者が買ってくれれば、外国に移住していた工場は次第に戻ってくるでしょう。地域に製造雇用が復活して、モノづくり自給率も少しずつ昔に戻っていくでしょう。今の私には、地域の若者の失業率を減らす手立てを、この「メイド・イン・ジャパンを買おう」活動以外に思いつけません。
外国製が日本製に切り替ったとして、「今の低価格に狎らされてしまった消費者が高品質高価格の日本製を受け入れるものか」と反論されると、答えに窮します。価格破壊は雇用破壊だという認識だけでは、消費者は重吉のつくる五桐火鉢に戻ってこないでしょう。雇用不安や年金不安をかかえている消費者は貯蓄のためにさらなる低価格を求めたい気分でしょうし。
しかし、私もかつては年季の入った小売職人、いまは小売職人たちの相談役。本物の日本製が登場してくれれば、職人の誇りに賭けて、消費者を価格訴求型の外国製品から奪い返してみせます。なんて、力むまでもなく、ありのままの事実を並べるだけで「メイド・イン・ジャパン」は消費者の内部に博愛を伝えていくはずです。
たとえば、私どもで新しく販売する『ゆり座』というロッキング座椅子の部品内訳はこうなっています。
デザインはバリアフリーデザインの第一人者、光野有次さん。そこに結集する職人会社の筆頭、鈴春工業はヤマハのピアノ、ソニーのスピーカーの木製部づくりで実績のある昭和26年設立の木加工メーカー。つづくハルノはオートバイの街で知られる浜松で昭和45年からオートバイのハンドルをつくってきた金属曲げ加工メーカー。本品の心臓部ともいえるシリンダーをつくっているカヤバはKYBブランドで海外にも知られる、わが国を代表する油圧緩衝器メーカー。東京シンコールは昭和35年から椅子の張地をつくってきた老舗のインテリア資材メーカー。中国製の部品は金型だけでつくれる「フレームジョイント樹脂」と「操作レバー」の2点だけ。価格は税込み47、250円。
ほら、事実を記載しただけで、商品の中に職人たちがうじゃうじゃいるじゃないですか。コスト主義のラインでつくられている「外国製」よりは、こんな日本の職人さんたちがつくる「日本製」を応援したくなりませんか。むろん価格は高くなるので、これまでの「外国製」なみの量では売れませんが、地球が切望している「CO2削減社会」とは、必要なモノが必要な量だけゆっくりと買い替えられていく社会のことでしたよね。
製造業で働く人がピンチのときは小売業や消費者が売上げづくりに協力する。消費者の暮らしが苦しいときは製造業や小売業が等しく利益を削っていく。そんな相互扶助のメカニズムがしぜんに働く社会をつくるには、「博愛」という社会理念が欠かせません。
わが国には「人を殺さない」というすばらしい博愛憲法があるのですから、「9条」を究極の博愛思想として経済や暮らしの世界にもひろげていかなくては、それこそもったいない話です。
(おわり)
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雇用の問題を解決するには、「小さな部品の一つまで
日本の職人が作ったものを売り、消費者が買うこと」とする
「メイド・イン・ジャパンを買おう」運動が、
日本の社会を救うという考えには、賛否両論あるでしょう。
しかし、今までとは根本的に違う社会のあり方を、
1人ひとりが考え、作り上げていくときに来ているのは確かなようです。
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