(A)
――あのころは……。
と三之助は子供のころのことを思い出している。仲間は競っておつぎのために何か喜ぶようなことをしてやろうとしたものだ。和助、徳蔵、長太、そしておれもだ。
(B)
――あのころはよかったね。
とおひろは心のなかで呟いた。(略)
おきぬちゃん、おいとちゃん、きくちゃん、うちのひと、それから常さん。常さんの家は表通りの「八百惣」という八百屋で、一人っ子だった。
よく似ているでしょ。
実は筋立てもそっくり。料理屋で働いている薄幸の女、それを助けようとする幼なじみの男、その好意を拒否して身をひく女。
(A)は藤沢周平の『おつぎ』(昭和58年)。
おつぎは少女時代に女郎の母に死なれ、川ざらいの仕事で生計を立てている祖父万蔵に引き取られましたが、その万蔵も殺人の冤罪で入牢し病死してしまったという薄幸の女です。
そのおつぎの幼なじみが三之助で、戸倉屋という商家の若旦那。おつぎの祖父が捕まった晩に真犯人らしい男を目撃したのですが、三之助の母親は犯人に仕返しされることを恐れて、三之助が番屋に行くことを断念させてしまいます。おつぎを裏切ってしまったその事件から11年過ぎて、三之助は料理屋で同業仲間と会食をしているときに、その店の台所で下働きをしているおつぎと再会します。
三之助にはいま縁談があって、相手は同業仲間の亀甲屋の娘。「役者の子を堕したとかいううわさのある女」です。しかし、三之助の父はその亀甲屋に二百両もの借金をこしらえて死んだので、三之助はその縁談を断わりにくい状況にあります。
おつぎを忘れられない三之助は再び料理屋に行き、少年時代の裏切りを告白した上でプロポーズします。亀甲屋の縁談は断わるつもりなので、おつぎにそのことは告げません。
おつぎは「身分が違います」と言ってプロポーズを拒否しますが、三之助の店には借金が山ほどあると聞いて思い直します。
おつぎは坐り直して三之助を見つめた。そして黙って手を出した。言葉のかわりに手をさし出す癖が残っていた。三之助がその手を握ると、おつぎはぱっと顔を赤らめた。
ところが、おつぎの存在を知った三之助の母親は人を介して、亀甲屋の娘と結婚して借金を棒引きしてもらうことが三之助の幸せになることだと伝えます。それを聞いたおつぎは三之助をあきらめて去っていきます。三之助は、今度こそは裏切れない、母親の言いなりにはならないと心に決めておつぎを探し出しにいくところで、おしまい。
はっきり言って凡作です。生きた人間が一人も出てこないからです。おつぎは読者の哀れをそそる薄幸な娘として設定されていますが、その貧乏な暮らしぶりは一切描かれません。『おつぎ』とタイトル化されている存在にもかかわらず、発する言葉は「身分が違います」のひと事だけ。一方の三之助も亀甲屋との縁談を断われば直ちに二百両の借金の重さがのしかかってくるのに、そのことについて苦悩する気配は全くありません。どう読んでも、世間を知らない能天気な若旦那としか見えませんね。
亀甲屋の娘のように欲望に正直に生きる女は怪しからん、おつぎのように自己主張しない従順な女こそ理想の女だ、みたいな作品に思えてしまうのは私だけでしょうか。印象に残るのはせいぜい、返事の代りにそっと手をさし出してくるおつぎのかわいい仕草くらいじゃないですか。
対する(B)は山本周五郎の『将監さまの細みち』(昭和31年)。
こちらの主人公はおひろ。病弱な亭主利助と子どもを養うために岡場所で体を売っています。外聞をはばかって利助にも近所にも料理屋につとめていることにしていますが、その利助が情けない男で、おひろが岡場所で働いていることを承知していながら知らぬふり。もう体も回復しているのにおひろに寄生してブラブラしています。
利助はなおぼそぼそと云った。かみさんに働かせて、男が寝ているというのも辛いものだ。そっちは稼いでいるからいいと思うだろうが、寝ている身になれば、それがどんなに辛いかわからない、ときには躯なんぞどうなってもいいから稼ぎに出よう、できなければいっそ死んでしまってやろう、と思うことさえある、「こういう気持は、丈夫な者にはわかるまい」本當は死んじまいたくなることがあるんだ、などと云った。
幾十たびとなく聞かされたぐちである。違うのはすっかり馴れたもので、その口ぶりに實感らしいものが出てきたことであった。
それで思い出しましたが、私も若い頃、この利助と同じようなぐちを聞かされたことがあります。十数年ぶりに訪ねてきた友人に借金を申込まれたときですが、かれは借金を申込む気持がいかに辛いかをくどくどと語り、きみのように順調に稼いでいる者にはこの気持はわかるまいといささか居直るように言ったのでした。なんとなくわかりますよね、そういうときの居直りたい気持って。
さて、隠していた岡場所づとめが近所にバレて白い目で見られるようになり、おひろは身も心も疲れきってしまいますが、そんなおひろを支えているのは、人生でいちばん幸せだった子どもの頃の思い出です。おひろは常吉という男の子が好きでした。
その常吉が突然、店に現れます。子どもの頃に常吉たちと歌っていた「将監さまの細みち」(天神さまの細みちの替え歌)を少し前の客に歌ったことから、その先客を介して歌った女はおひろにちがいないと思って訪ねてきたのです。
客は話していた。自分もいちど嫁をもらったが、病身で、三年まえに死なれた。それからずっと獨身でいる。おひろが好きで、おひろを嫁にもらうつもりでいた。(略)
「もういい、利助と別れてくれ」と客は続けた、「ここまでやれば充分だ、充分すぎるくらいだ、おれが金を出すから、それを利助に遣って別れてくれ」
むろん、子どもも引き取ってくれるという、夢のような話です。おひろは常吉の言う通りにしようと、その晩、利助に離婚を切り出そうとしますが、気配を察した利助は先手を打って、性根を入れ替えて明日から働きに出る、つとめ先も決めてきた、「こんどこそおらあやってみせるぜ」と泣き落としにかかります。そして、くどくどと続く泣き落としを聞いたあとにやってくる哀切なラストシーン、おひろの結論はこうです。
――うれしいわ、常さん、あんた二年もあたしを捜してくれたのね、うれしいわ。
あたし忘れないわ、とおひろは頭をぐらぐらさせながら思った。それで充分よ、あんなところまで訪ねて来て、おかみさんにしてくれるって云ったわね。常さんがそんなに思っていてくれたっていうことだけで、本望だわ(略)。
そうよ、とおひろは思った。常さんの云うことを承知したのは「できない」ということがわかっていたからだわ。できるもんですか、あたしがこのひとと夫婦になり、子を生んで、岡場所でまで稼いだってことは、消えやしない。常さんといっしょになったとしても、一生それがつきまとって離れやしないのよ。
そして、この歌は今夜っきりでもう歌わないと言いきかせながら、ここはどこの細みちじゃ 将監さまの細みちじゃ ちょっと通して下しゃんせ……と歌うところで終ります。
(A)のおつぎと同じように、(B)のおひろもまた、大きな不幸を背負いすぎてしまったあまりに、やっと訪れた幸せの可能性を受け入れられないという物語ですね。
もっとも(A)のおつぎはおそらく三之助と一緒になるだろうと作者はハッピーエンドを匂わせていますが、(B)のおひろは「常さん」のせっかくの申し入れを断わってしまった。山本周五郎はあえて断わらせてしまった。なぜでしょう。
『将監さまの細みち』の結末に描かれたおひろの心境については複数の解釈が成立します。
一つは、だらしない利助をそのだらしなさゆえに見捨てることができなかったという額面通りの解釈です。たとえば哲学者の山田宗睦さんの解釈。
「人間というのは、自分のおかれたところで、傍からみれば、逃げだせばいいじゃないかと思われるようなことでも、自分ではそれを許すことができないという、大げさにいえば、使命とか存在理由とかがある。人間としてそれを失うことが許されない、というよりも自分で許せないのですね。それをみつけた生き方がたいせつなんだというのが、山本さんの主張だと思います」(『山本周五郎・宿命と人間の絆』昭和49年)。
ちょっと回りくどい言い方ですが、要するにおひろは現実を受け入れる覚悟を決めたということですね。生き方の基本のところは他人の好意に頼らないという覚悟に、山田さんはおひろの誇りというか矜持を感じると言っているわけですね。
山田さんの解釈したいおひろに似た女性に私は出会ったことがあります。脱サラしてつくった会社が10年かかってやっと少し安定してきた70年代の半ば、私は念願のマイホームを買いました。さあ、次は夫婦と3人の子どもがせまいアパートで暮らしている社内でいちばん古い社員U君の番だ。「会社で低金利の住宅資金を全額用意した。返済は何年かかってもいいからマイホームを買ってくれ」。てっきりよろこばれると思っていたら、奥さんから断わりの返事がきたのです。10年先20年先に会社が潰れないという保証はない、会社から金を借りていたら債権者に家をとり上げられてしまうかもしれない、そんなおそろしい話、持ってこないでくれ。感謝されるにきまっているといい気になっていた私は頭から冷水を浴びせられました。
山田さんのおひろ像に私はU君の奥さんを連想しましたが、でも、この小説の結末については私は山田さんとはまったく違った解釈をしています。そもそも『将監さまの細みち』には、救いの手を差しのべる常吉なんて実在しなかったという読み方です。
山本周五郎は地の文では一切、常吉を他の「客」と同じように「客」としか表記しません。「客の顔が歪み」「客の口の中で」「客はおひろの手を強く握り」「客の痩せた顔に血がのぼり」……ほら、不自然でしょ。「常さん」という固有名詞はおひろのモノローグの中でしか出てこないのです。ということは、おひろは店にやってくるいろんな「客」の言葉を、自分の聞きたい「常さん」の言葉につくり替えて空想しているだけだったのでしょう。別れ際に描かれる「客」の具体的なスケッチは象徴的です。「おひろは初めて見るように、客の顔を見まもった。(略)その着物や帯を取替えたら、あのころの常吉そのままに見えるだろう」
おひろは現実の辛さをまぎらわせるために「常さん」を思い出し、「常さん」の言葉を幻想する。しかし、白馬にまたがる騎士のように駆けつけてくれる「常さん」は実在しないから、おひろはいつまでもいまの暮らしをつづけていくしかない。しかし、もう、幻想の「常さん」に逃げ込むのはよそう。「もう今夜っきりで歌わない」という「将監さまの細みちじゃ……」はこれまでの幻想への訣別の歌。白馬の騎士はいないのだから、利助を見捨てるも見捨てないもない。おひろは希望を抱いて生きることにホトホト疲れてしまったのだ。
このように読みとることで、おひろの絶望は一層深く私たちの心に刻みこまれていくのです。山田さんは結末に救いを見つけましたが、私は絶望しか見つけられませんでした。
つまり、山田さんの解釈するおひろは実在する「常さん」に「助けて」を言わない女、私の解釈するおひろは幻想の「常さん」にしか「助けて」を言えない女。小説は数学ではないから解はいくつあってもいいんですね。
一人っきりでは貧乏に負けてしまう。「常さん」という助っ人が実在して初めて人間は貧乏とつき合っていける。08年末に現代の貧乏を告発してくれた年越し派遣村のNGOはさしずめ複数の「常さん」だったわけですが、それでも助けを必要とする側が「助けて」を言えなければ、「常さん」が実在してもどうしようもできません。
自分の善意は困っている人にストレートに通じるはずだと思いこんでいる助ける側の限界や傲慢を、おひろの深い絶望から私は教えられました(この傲慢については、その後の『さぶ』で山本周五郎はさらに深く追求していきます)。
自宅の書棚で新潮社版の『将監さまの細みち』(昭和31年版)の背表紙を見かけるたびに、私は今でもふっとその後のおひろを空想したりします。あのあと、もし病気にでもかかっていたりしたら、おひろを収入源としか見てこなかった利助はさっさと逃げ出しているんだろうな。長屋の連中の白い目に囲まれて、おひろ母子はさぞかし心細い思いをしてるんだろうな。
ひょっとすると、『赤ひげ診療譚』(昭和33年)の第6話『鶯ばか』に出てくる長次の母親おふみは、名前を変えた2年後のおひろではなかったのか。
*
助ける側の心理と助けられる側の心理。
そして「善意」の解釈や助けてを言えない人の心情など、
複雑な様相がそこにはあります。
「助け合い支え合う」社会を作る、もう一つの側面の難しさを感じます。
次回は、『赤ひげ診療譚』を題材に考えます。お楽しみに
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