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みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」を不定期連載でお届けします。
第82回選抜高校野球大会の1回戦で、和歌山県立向陽高校に敗れた、島根県の開星高校の監督が試合後、「21世紀枠に負けて末代までの恥だ」と発言したことが「不適切」とみなされ、同監督は辞任した。
選抜高校野球大会の出場校は、夏の全国高校大会のように各都道府県の予選を勝ち抜いたチームではなく、前年に行われる各都道府県の秋季大会で優勝、準優勝を果たしたチームが対象となる。しかし、高校野球連盟(高野連)は、各都道府県の高野連が推薦するチームから、地域性、話題性などを考慮して、2、3校の出場を認める。それが21世紀枠だ。
ベスト16以上が最低条件というのはわかるものの、「地域性、話題性」とは曖昧な基準だ。これまでに選出されたチームをみると、ほとんどが公立高校であり、現在の甲子園出場校の多くを、野球に秀でた中学生を集められる有名私立高校が占めるなか、普通の学校にも出場のチャンスをというのが21世紀枠の趣旨なのだろう。だから先の監督の発言は「不適切」とされたのであった。
とはいえ「末代までの恥」は多くの有名私立高校の監督に共通する感覚ではないか。なぜなら彼らには「野球で食っている」という意識が強いからである。
本来、高校野球は学校の課外活動に過ぎない。野球部の監督を務めるのも一般教員である。にもかかわらず、甲子園に出場するような高校の野球部員は、早朝と授業終了後から夜間まで、毎日練習漬けだ。教師が生徒をそこまで拘束できるのだろうか。
それが可能な理由には、甲子園出場が学校の知名度を上げ、そのことで生徒をたくさん集められるという学校側のメリットがある。多くの生徒が受験すれば学校経営も潤うし、偏差値も上がるだろう。監督にとっては勝利が地元での名誉を育み、自らのポストの長期的な確保を可能にする。
今大会では甲子園での勝利数の記録を塗り替えた監督の功績が称えられていた。しかし、1人の人間が長く同じ地位にいることの弊害は、企業や官庁といった組織でも指摘される常識である。だから定期的な人事異動があるのだが、高校野球の世界では、逆に監督のポストがアンタッチャブルになっていく気がしてならない。
それでも批判の声がなかなか上がらないのは、高校野球が教育の一環として語られるからだ。過酷な練習も、それが「教育だ」と言われれば、許されてしまう雰囲気がある。
21世紀枠という制度は、現在の高校野球界の風潮に対する高野連の罪滅ぼしのようなものではないか。
かつて甲子園大会は地方から大都市に出て働く勤労者の郷土愛に訴える力があった。自分の出身県の高校を応援することで、自分の故郷を確認することができた。しかし、彼らの子供たち世代が社会の中心となり、野球のための越境入学が当たり前となったいま、その役割は終わりつつある。
NHKはそろそろ甲子園大会の全試合中継をやめる時期にきたと思う。
高校野球のメディアにおける過度の露出が、様々な弊害の要因になっていることは間違いない。スポーツに秀でた少年たちが野球に集まってしまう傾向も、日本のスポーツ界にとってプラスではないだろう。
高校野球が数あるスポーツの一競技に落ち着けば、これまでの特権の多くが失われるだろう。だが同時に、結果として、広く人々に共有されるスポーツになるかもしれない。私はそんな期待をしている。
(芳地隆之)
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