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マガ9スポーツコラム No.015

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  みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」を不定期連載でお届けします。

今年のJリーグを振り返って
―2つの「東京」の明暗―
その1

 今年のJリーグは鹿島アントラーズの3連覇で終わった。最終節に川崎フロンターレが、2005年のガンバ大阪や2007年の鹿島のような逆転優勝を果たすのではないかとの期待もあった。しかし、爆発的な攻撃力をもちながら、大事なところでの取りこぼしが目立ったフロンターレよりも、アントラーズの方が地力で優っていた。

 最後まで見逃せないシーズンだったが、現在、東京に住んでいる私にとっては、ホームチームであるFC東京と東京ヴェルディのあまりに対照的なクラブの姿が気になる1年でもあった。

 FC東京がナビスコ杯優勝やリーグ戦5位と健闘する一方、東京ヴェルディは親会社である日本テレビのチーム運営からの撤退で存続の危機に見舞われたのである。J1(FC東京)とJ2(東京ヴェルディ)と置かれた立場の違いはあるにせよ、東京ヴェルディの前身、ヴェルディ川崎はJリーグの初代および2代目のチャンピオンである。三浦(カズ)、ラモス、柱谷、北澤、武田とタレント揃いだったチームがどうしてここまで落ち込んでしまったのだろうか。

 ヴェルディ川崎は、一時期「読売ヴェルディ川崎」と名乗ろうとしていたことがある。当時のオーナー会社である読売新聞社の渡邉恒雄・主筆の意向だった。しかし、Jリーグの原則は「チーム名に企業名をいれない」。当時の川淵三郎チェアマンは渡邉氏の要望を聞き入れなかった。それに対して渡邉氏は、
 「(読売の名称を入れることを認めないと)ヴェルディをJリーグから脱退させるぞ」と迫った。人気チームのヴェルディが脱退したら、Jリーグの観客動員数は減少する。それでもいいのか――恫喝に近い態度だった。ところが川淵チェアマンの返事は、「(脱退したければ)どうぞ。しかし、Jリーグを脱退したら、FIFA(国際サッカー連盟)公認の試合には出場できませんよ」。

 ヴェルディが企業名を名乗ることをJリーグから認められなかった渡邉氏は、その対抗手段として、自社の読売新聞のスポーツ欄では「読売ヴェルディ川崎」と報じたのである。

 渡邉氏はヴェルディをJリーグの「読売ジャイアンツ」にしたかったのだと思う。全国区の人気のあるチームがJリーグを引っ張っていく。そんなイメージをもっていたのではないか。

 しかし、読売新聞社はやがてヴェルディの運営から撤退。代わって日本テレビが株主となり、本拠地を川崎市から東京へ移すことをJリーグ側に申請した。

 日本テレビは首都をホームにすることで、より多くのサポーターを獲得しようという狙いだった。しかし、その決定はヴェルディ川崎のサポーターの気持ちを置いてきぼりにするものだった。

 「ぼくたちはヴェルディを愛したけれど、ヴェルディはぼくたちを愛してくれなかった」

 ある「川崎」のサポーターは寂しそうに語ったという(『日本式サッカー革命』集英社インターナショナルより)。

 新天地=東京に移転したヴェルディだが、サポーターを集める方法は日本テレビというメディアを通したものに偏重していた印象が私には強い。地元の人々と直接、触れ合う機会がなければ、新たなサポーターはなかなか得られないのではないかと思った。

 通勤客が行き来する駅改札口、夏の盆踊りや縁日、商店街のポスターなど、東京の街角で目立つのは圧倒的にFC東京である。チームのスタッフがサラリーマンにビラを渡して観戦を誘う、選手が子供たちとお祭りでのサッカーアトラクションに興じる、とんかつ屋さんで「FC東京の“カツ”サンド」を売る。FC東京はJ2時代からの地道な努力をいまも続けているのである。

 一方、親会社(日本テレビ)に見放された東京ヴェルディ。待ったなしのチーム建て直しを迫られているクラブに、いま何が一番、必要なのか。次号ではそれについて考えてみたい。

(芳地隆之)

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