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マガ9スポーツコラム No.007

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  みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」がスタートです。不定期連載でお届けします。

高校野球が地方色をなくした理由

 先日、大分県で高校の野球部部員を乗せたバスが横転し、生徒1人が死亡するという痛ましい事故があった。大分県大会の開幕式へ向かう途中だったという。今年も各都道府県で全国高校野球大会の予選が始まった。

 私は子供の頃からテレビにかじりついて甲子園を見ていたくちである。記憶に残っている最も古いゲームは、1974年の第56回大会。1年生の強打者、原辰徳(読売ジャイアンツ監督)をクリーンアップに据えた東海大相模高校と、右腕をしならせ、低めに直球を投げ込むエース定岡正二を擁する鹿児島実業との準決勝戦だった。ナイターでの延長15回、鹿児島実業が辛勝した。

 その大会以降も、高校野球の伝統といえる送りバントをせず、圧倒的な長打力で勝ち上がった池田高校(徳島県)や、抜群のコントロールを誇る桑田真澄と大会本塁打数の記憶を塗り替えた清原和博のPL学園(大阪府)の戦いぶりが思い出される。

 プレーのうまさだけではない。

 たとえば原と定岡。2人とも甘いマスクが人気を呼んだが、都会的でスマートな原に対して、定岡には田舎育ちのあどけなさ。その対象がよかった。白髪の名将、蔦監督率いる池田高校の打者たちは「山びこ打線」と呼ばれたように、徳島の山間地で育まれたような素朴さと大らかさが感じられた。PL学園の清原の魅力は、何といっても、彼の地元岸和田「だんじり祭り」を思わせる豪快さである。

 選手だけではない。アルプススタンドを眺めれば、銚子商業(千葉県)や高知商業(高知県)の応援には派手な大漁旗が振られ、広島商業(広島県)の応援団は両手にしゃもじをもって、かちゃかちゃとかき鳴らした(相手を「めしとれ」という意味らしい)。そこでは各県ならではのツールが使われていたのである。

 高校野球のもつ地方色が薄くなってきったのは1990年代に入ったころである。全国各地の国道沿いにファストフード店、郊外にハイパーマーケットがつくられ始めたのと時を同じくしている。全国一律の味と豊富な品揃え。しかも安価な大型店舗に地元の小売店が太刀打ちできるはずがない。駅前商店街が徐々にシャッター通りへと変わっていった。

 そのころ地方の私立高校は「野球留学」に力を入れ始めた。たとえば東北高校(宮城県)のダルビッシュ有や駒大苫小牧高校(南北海道)の田中将大は関西出身である。甲子園で勝ち上がるため、学校側が優れた才能をスカウトしたのだろう。田中と第88回大会の決勝戦で投げ合った「ハンカチ王子」こと斎藤祐樹の実家は群馬だが、彼は中学卒業後に上京し、東京で兄と暮らしながら、早稲田実業へ通った。

 高校野球がもっていた魅力のひとつは、チームの醸し出すその地方性だった。だからこそ、本来は学校の課外活動でしかないスポーツが、あれだけ全国の注目を集めたのだと思う。

 しかし、野球をするために学校に行くというのは本末転倒ではないか。スポーツの優秀な子供たちの受け皿となるべきは、学校ではなく、地域のクラブチームである。

 残念ながら、日本にはクラブスポーツのシステムと、それを支える文化がなかったので、地元の学校がその役割を担ったといえる。ところが、「NHKが全試合放映する甲子園で名を挙げれば、全国区で有名になる。そうすれば、たくさん生徒を集められる」とする学校側に野球が利用されたことで、本来の高校野球がもっていた面白みが失われてしまった。

 いま地方色はむしろプロスポーツにある。

 1部、2部あわせて36チームを有するJリーグは言うまでもなく、四国・九州アイランドリーグをはじめに、北陸や関西でも生まれた野球の独立リーグが、高校野球が担ってきた地元密着型のスポーツ文化を引き継いでいるのである。

 野球の独立リーグについては、また別の機会に。

(芳地隆之)

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