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みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」がスタートです。不定期連載でお届けします。
伊達さんがウィンブルドンに帰ってきた。昔からのファンとしては、感無量だ。
90年代、彼女が世界の強豪を相手に戦っていたシーンを、僕はいくつも思い出すことができる。なかでも印象的なのは、当時女王に君臨していたシュテフィ・グラフとの戦いだ。
ひとつは1996年4月のフェド杯、ドイツ戦。痛めた左足をテーピングでガチガチに固めた伊達さんは、3時間を超える激戦の末、グラフから初めての白星を奪った。
そして同じ年のウィンブルドン準決勝。それまで1セットのダウンもなく勝ち進んだグラフから、伊達さんは第2セットを奪取。試合の流れは完全に伊達さんに傾き、「イケる!」という言葉が僕の脳裏をかすめた瞬間、非情の日没サスペンデッド(順延)。翌日行われた試合は、NHKが夜7時のニュースで生中継したことでも話題になったが、スロースターターの伊達さんはそこで敗れた。
と、伊達さんの思い出を一気に書いてみたけれど、ここまでの文章を読みながら「ウンウン」とうなずき、目に涙ためて鼻をすすっている人は、長年の伊達さんファンだけだろう。
同じ「共有体験」を持たない人の話にどうしたら共感するか。さいきん、そのことが気にかかる。
たとえば「9条」。
いま、熱心に「9条護憲」を主張する方の多くは、10代〜20代の時期に終戦を迎えた人たちだろう。あるいは、そういった人から戦争の悲惨さやあたらしい憲法の素晴らしさを説かれた人たち。そのことを批判する気持ちはまったくないのだけれど、不満は少しだけある。
僕はいま30代の前半で、戦争を体験したことなどありやしない。それは幸せなことだと思う。ただ、だから「9条護憲を熱心に主張する方々」と「共有体験」を持てずにいる。「共有体験」がないから、冒頭で書いた伊達さんの思い出に共感してくれる人が少ないように、僕も「9条護憲を熱心に主張する方々」の言葉に、理解こそすれなかなか共感できずにいる。
そこを埋めるのが「想像力」なのだと思うけれど、これがそんなに簡単なことではない。僕は映像で、文字で、写真で、戦争に触れることはできるけれど、それを「体験」することはできない。この差は圧倒的で、僕たちはこの差の前で、少し謙虚にならなくてはいけないんじゃないだろうか。
「9条」に関する運動のキモって、ここにあるんじゃないかと僕は思う。
じゃ、どうするか。
僕の提案は、「共有体験」じゃなく「おなじ気持ち」でつながること。あんまり説得力はないかもしれないけど、とりあえずひとつの考え方として。
僕はイラク戦争が本当にイヤだった。「開戦するな!」って願っていたから、3月20日にアメリカ軍が攻撃を開始したときは悲しくなったし、メディアが拠点としたパレスチナホテルが砲撃され、ジャーナリストが死傷したときは全身の力が抜けてしばらく呆然としていた。そんな気持ちになったのはそのときが初めてで、いまのところ最後かもしれない。
もちろん、実際に戦争を体験した人たちの気持ちは、僕の比ではないことは理解している。でも、自分史上最高の脱力感や嫌悪感につつまれた「戦争がイヤ」という気持ちは、「共有体験」ではつながれない「9条護憲を熱心に主張する方々」とも共有することができるんじゃないかと思う。
僕の場合はたまたまイラク戦争だったけれど、それ以外で強く「戦争がイヤ」って感じたことがある人だって、当たり前だけどたくさんいるだろう。ベトナム戦争でも、「プライベート・ライアン」でも、「はだしのゲン」でも。
話は戻って、伊達さん。
伊達さんは13年の時を経て、僕たちの前に戻ってきてくれた。伊達さんはまだ、「共有体験」になることができる。
伊達さんのテニスはうつくしい。途中で消えてしまうんじゃないかと思うくらい、ハッと息をのむようなショットは芸術品だ。
だから何が言いたかったのかというと、そんな伊達さんのテニスを多くの人が「共有体験」できる時間はもうそう長くはないだろうと思うので、今回ウィンブルドンでは残念ながら負けてしまったけど、今後の伊達さんの挑戦を一人でも多くの人に見てほしいなってことなんだけど。
(山下太郎)
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