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みんなが大好きなスポーツ!「マガ9」スタッフだってそうです。
だから時々、メディアで報じられているスポーツネタのあれこれに、
突っ込みを入れたくなったり、持論を展開したくなったり・・・。
ということで、「マガ9スポーツコラム」がスタートです。不定期連載でお届けします。
フィールド全体をフルに使ってボールを回しながら、相手ゴールを狙う――イビツァ・オシム監督時代の日本代表チームには、そんなイメージがあった。
2007年のAFCアジアカップ(タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシアの4カ国開催)での一連の試合はエキサイティングだった。テレビ中継がフィールド全体を映せないこともあって、画面の端から突然選手が現れ、一気に反対方向へ駆け上がったり、前線にいると思っていた選手が自チームのゴール前まで戻って、厳しいディフェンスをしたり。「なぜ、この選手がここに?」というシーンを何度も見た。そして「オシム監督がしつこいほど選手に走ることを要求した」理由がわかった気がした。
選手にとってみれば過酷である。90分間、ボールを追って走り続けることを想像してほしい。当のオシム監督は「ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出す時、肉離れを起こしますか?」(「オシムの言葉」)といった独特の表現で、走れない選手はいらないと言うが、アジアカップで日本代表が準決勝でサウジアラビアに、4位決定戦で韓国に敗れたのは、選手たちがオシム監督の要求にこたえ続けた結果、精根尽きはててしまったからだと思う。オシム監督には、アジアカップを、その先のワールドカップを見据えたトレーニングの場にしているふしもあった。
その後、オシム監督が脳梗塞で倒れ、岡田武史氏が後任となったのは周知の通り。当初の岡田監督の日本代表の試合に、私は正直、幻滅した。
常に数的優位な状態で、相手のボールを奪い取り、早いパス回しで相手のボールを狙う――岡田監督のコンセプトに説得力はあるものの、狭いスペースに選手が密集する動きが、ちまちました印象を与え、オシム時代のダイナミズムが失われたことが残念に思えたのである。
だが、素人ファン(=私)が知ったかぶりするものではない。
その後の日本代表の試合をフォローしてみると、「ちまちま」と見えたのは、まだ選手が岡田監督の戦術を体得する過程だったのだと思えてきた。というのも「ちまちま」がスピーディなパス回しへと変わると、それがフィールド全体で機能するようになり、チーム全体が躍動しているように感じられたからである。
岡田監督がよく使う言葉「ボールも、選手も動くサッカー」とはこういうことだったのか。
先日、ウズベキスタンの首都、タシケントで行なわれたワールドカップ・アジア最終予選。日本代表はウズベキスタンに勝って、南アフリカ・ワールドカップ出場を決めた。しかし、試合内容は「ボールも、選手も動く」からはほど遠く、防戦一方になる場面に、私はテレビの前で何度も小さな悲鳴を上げた。だが、終了のホイッスルが鳴った後は、自分たちの持ち味を消されても、辛勝できたことに、日本代表の進歩を感じたのである。
オシム監督のときも、岡田監督のときも、日本代表の試合の観客動員数が減少していることが指摘された。中田英寿選手のようなカリスマ的な存在のいないことが大きいといわれる。オシム監督の前任者であるジーコ監督のチームは、ほとんど中田選手のそれという印象があった。「自由と創造」というスローガンを掲げたジーコ監督の下、司令塔である中田選手が求めるプレーを他の選手ができないとき、観る方の私たちまで、中田選手と一緒になって、フラストレーションを溜めていたような気がする。
オシム監督の戦術をさらにレベルアップしようとしている(であろう)岡田監督のサッカーに、傑出したスター選手は必要ない。全員が献身的に走るチームに、カリスマ的な選手は生れにくい。私にはそれが日本代表の強みだと思える。そういえば、オシム監督が最後のユーゴスラビア代表(その後、ユーゴは内戦で解体した)を率いて出場した1990年のイタリア・ワールドカップで優勝したのは、マラドーナ(アルゼンチン)、スキラッチ(イタリア)といったカリスマ的選手を擁したチームではなく、全体として地味な印象のドイツだった。
残りのアジア予選、とりわけアウェイのオーストラリア戦で、日本代表はボールも、選手も動くサッカーができるだろうか。
(芳地隆之)
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