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2013-07-31up

柴田鉄治のメディア時評

第56回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

参院選・自民圧勝——安倍政権に甘すぎるメディア

 参院選の結果は、事前の予想通り自民党の圧勝に終わった。昨年末の総選挙、先月の東京都議選に続く連勝で、アベノミクスに対する期待の表れという分析がつづいているが、あまりにも予想通りということで、「メディアの予想そのものが自民党を後押しした」という見方まで一部に広がっている。
 確かにメディアの予想が投票意欲をそぎ、投票率の低さにつながったことは否めないが、予想報道が自民圧勝の原因の一つという見方には私は必ずしも同調しない。ただ、安倍政権に対してメディアのチェックが甘すぎたことは確かで、それが自民圧勝の一因としては挙げられよう。
 たとえば、原発政策では、国民世論は圧倒的に脱原発を希望し、停止中の原発の再稼働に反対しているのに、安倍政権がそれを無視して原発推進に動き出していることに対して、メディアの批判は極めて弱かったのだ。
 いや、批判どころか、メディアの中には「大衆迎合はするな」「ポピュリズムは排せ」と原発反対の世論には従うなと主張する新聞まであったのだから驚く。
 参院選をめぐる報道のなかでも、安倍首相の発言に対してメディアの追及がいかに甘いか、私自身が目撃した事実を記してみたい。それは、参院選の公示の前日、7月3日に日本記者クラブで開かれた9党首による立会討論会(記者会見)での出来事だった。私は会場で傍聴していたのだが、この会見はNHKが生中継したので見た人も多いと思う。
 まず9党首が抱負を述べ、互いに質疑を重ねたあと、各社を代表する記者団からの質疑に移ったとき、毎日新聞の記者が「安倍首相の歴史認識を訊きたい」と質した。それに対して安倍首相は「それは歴史家に任せたい。私は総理で、その判断自体が外交問題になるから」と逃げを打ったのである。
 毎日新聞の記者が「そんなことはない。あの中曽根首相だって歴史認識を明確に語ったのだから」と追い討ちをかけると、安倍首相は「中曽根首相が歴史認識を語ったことはない」とはっきり断言した。すると、記者は「確かに語ったのだが、水掛け論になるからやめておく」と引いてしまったのである。
 テレビ中継しているだけに、そこでなぜ引いてしまったのか。押し問答だけでももっと繰り返せばよかったのに、とまず思った。
 その夜のことである。テレビ朝日の報道ステーションがこの場面を再録したあと、1985年の衆院予算委員会で、中曽根首相が「太平洋戦争はやるべからざる間違った戦争であった。中国に対しては侵略の事実もあった、と私は認識している」と明確に述べている場面を映し出したのだ。昼間の押し問答に決着をつけたのである。
 ところが、その夜、他のテレビ局はNHKを含めてそういう決着を報じていないのだ。さらに驚いたことに、翌日の新聞各社も当の毎日新聞を含めてその問題の追跡記事を一切、報じなかったのである。つまり、安倍首相が断言した言葉が「ウソだった」あるいは「無知をさらけ出した?」ことにそっとふたをしてしまったのである。
 ジャーナリズムの使命は、と問えば、新人記者だって「権力を監視すること」と答えるだろう。一国の首相といえば最高の権力者である。そのウソをメディアが追及もしないとは、日本のメディアは「なんと優しい人たち」の集まりなのだろう。それとも、安倍首相が各メディアのトップと次々と会食している事実が先日、明らかになったが、その効果がこんな形で表れたのか、どうか。
 とくに安倍首相の歴史認識が中国や韓国との間に厳しい軋轢を生んでいるときだけに、それを質す絶好の機会をみすみす見逃したメディアの甘さに、ひときわがっかりさせられた。
 さらに付言すれば、85年に中曽根首相が歴史認識を語ったとき、安倍晋三氏は父親の安倍晋太郎外相の政務秘書としてその問答を国会内で聞いていたはずだという話である。ますますもって、安倍氏のウソはもっと追及されるべきだし、中曽根氏にも安倍氏の発言に対する感想を訊いてもらいたいものである。

日本の「右傾化」の原因、蓮池透氏の「解説」に納得

 ところで、参院選の結果は自民党の圧勝というだけでなく、民主党の惨敗、社民党やみどりの風などのほとんど消滅といってもいいような敗北など、日本の政治は先の総選挙に続いてぐんと「右寄り」に傾いた。
 日本維新の会やみんなの党も勢いはやや減じたとはいえ、もともと右寄りの政党であり、それより何より、一人勝ちの自民党そのものが、かつての右から左まで幅広い人材を抱えた面影もないほど、現在の安倍―石破体制は右寄りに転じている。
 日本の政治家がなぜこれほど「右傾化」したのか。その原因について私は漠然と「戦争を知らない世代が増えたためではないか」と考えていたが、7月13日の朝日新聞オピニオン欄に載った元「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長の蓮池透氏のインタビュー記事を読んで、目から鱗が落ちるように「なるほどなあ」と納得したのである。
 蓮池氏の解説を要約すると、2002年9月17日に小泉首相が訪朝し、北朝鮮が拉致を認めた日を境に日本社会は一変し、「俺たちは被害者だ」となってそれまで加害者だと言われ続けてきた鬱屈から解き放たれ、偏狭なナショナリズムが出来上がったのだ。その被害者意識が増殖し、そこからはみ出すと排除の論理にさらされるという狭量な社会を生んでいるのではないか、というのである。
 この解説を読みながら、私はあの日を境に日本社会に渦巻いた「異常な興奮状態」ともいうべき数々の出来事を思い起こした。拉致被害者の帰国と、北朝鮮に残された家族を取材したメディアに対する激しいバッシング、家族会に対して日本新聞協会、民間放送連盟、日本雑誌協会が連名で提出した「個別取材を認めてほしい」という奇妙な申し入れなど、メディアを含めて日本中が異様な大騒動となったのだ。
 蓮池氏も「被害者なのだから何を言っても許されるという全能感と権力性を有ししてしまった時期もあった」と認め、調子に乗っていた当時の自分が恥ずかしいと反省しながら「日本社会はいまも謙虚さを失い、調子に乗ったままなのでではないか」と分析している。
 確かに、同じ第2次世界大戦の敗戦国でも、ドイツと日本の違いについてしばしば論じられるが、その違いも加害者としての意識の差に起因しているのではないか。ドイツは加害国としての自覚のうえに立って、侵略した他国への謝罪とナチの犯罪には時効を認めないという厳しい姿勢で歴史と向き合っているのに対し、日本は加害者意識が戦後ずっと中途半端で、戦争責任と厳しく向き合ってこなかった。
 その理由は、米国の占領政策が途中でガラリと変わり、日本を「理想の民主国家」にすることを諦めて「反共の砦」にしようとしたことにあるといわれており、その象徴として戦犯だった岸信介氏が戦後すぐに首相になった例がよく挙げられる。
 その岸氏の孫が安倍首相で、祖父の夢だった憲法改正に向けて走り出しているのが現在の日本なのだ。
 一般に、加害者としての罪を自覚するより、被害者の立場に身を置くほうが気が楽なことは言うまでもない。日本は戦後ずっと加害者としての責任と真正面から向き合おうとせず、逆に加害者として反省する人には「自虐史観だ」と貶めるような発言が続いてきた。
 それがいま、ドイツが近隣諸国と極めて友好的な関係を保っているのに、日本が近隣諸国と軋轢を繰り返して日本外交の「最大の失敗」といわれている原因にもなっているのだ。
 蓮池氏も言っているように、「日本はまず過去の戦争責任に向き合わなければならない」と、私もそう思う。

日本は、質問記したボードを警察が没収する社会に

 このほか、今月のニュースで私が愕然としたのは、参院選の公示の日、安倍首相が第一声を上げた福島駅前の街頭で起こった「事件」である。「総理、質問があります。原発廃炉に賛成?反対?」と印字した紙をダンボールに貼り付けたボードを掲げた40歳の女性が、「警察の者ですが」と名乗る男性たち4人に取り囲まれ、男性たちは女性から住所や氏名などを執拗に聞き出したうえ、「ここは質問の場ではないから、一時預かる」とボードを持ち去ったというのである。
 「逮捕されるのかと本当に怖かった」という女性は、演説会も聞かずに泣きながらその場を立ち去ったが、1週間後に教えてもいないはずの勤務先にボードが返却されてきたという。駅前という公共の場で、一人きりで騒ぎもせず、紙のボードを掲げた行為に問題があるとは思えない。日本もこんな「言論の自由のない国」になってしまったのか。
 しかも、私がこの事件を知ったのは、ずっとあとの7月14日の東京新聞「こちら特報部」欄と20日の朝日新聞社説だった。首相の公示第一声なのだから恐らくすべてのメディアがいたはずである。「言論の自由」にかかわる事件なのだから、全メディアが一斉に警鐘を鳴らしてもいいケースだと思うのは、私の期待しすぎであろうか。
 なお、この事件については、弁護士たちが警察や自民党本部に質問書を送ったのに、返事がないという。これもメディアが迫るべきテーマだと思うのだが…。

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最後の「ボードを掲げて没収された女性」の話は、
先々週の「時々お散歩日記」で も取り上げられていました。
選挙前からすでに始まっていた思想・表現の自由への弾圧は、
参院選の大勝を受けて、さらに強まることも懸念されます。
それを監視するのも、メディアの重要な役割のはずなのですが…。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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