憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。
|「マガジン9」トップページへ|柴田鉄治のメディア時評:バックナンバーへ|
2012-06-27up
柴田鉄治のメディア時評
第43回
その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。
原子力基本法の改変、メディアはなぜ騒がぬ?
今月のニュースで、私が最も驚き、かつ、日本のメディアに深い絶望感を抱いたのは、原子力基本法の改変問題だった。
原子力基本法というのは、1955年(昭和30年)に日本が原子力開発に踏み出すときに制定された「原子力に関する憲法」ともいっていい最も重要な法律である。ヒロシマ・ナガサキを体験した日本国民が原子力開発に踏み切ったのは、原子力基本法に「自主・民主・公開」の原子力三原則と平和利用に限ると明記したことがきっかけだっただけに、そこに「我が国の安全保障に資する」という文言を入れた改変は、その根幹を揺るがす大問題のはずである。
日本が原子力の軍事利用、つまり核兵器の開発に道を開こうとしているのではないかと疑われかねない問題なのである。
それなのに、この改変をメディアはなぜ、法案が提出される前から問題にしなかったのか。それとも、メディアはそれに気づかなかったのかどうか。
確かに、この改変は原子力基本法の改正として提案されたものではなく、かねてから問題になっていた原子力規制委員会設置法にからめて、その付則で上位法である基本法を改めるという分かりにくいやり方をとったのだ。
まさか国民に気づかれないように、規制委員会設置法のどさくさにまぎれて成立を図ったとは思いたくないが、それにしても15日に衆議院に提出され即日可決、20日に参議院でも可決成立した。「安全保障に資する」の文言は、政府原案にはなかったが、修正協議で自民党が提案、民主党も公明党もそれを受け入れたという。
この間、メディアが何も気づかなかったとは思えないが、事前の問題提起がなかっただけでなく、成立後の21日の紙面でもこの問題をまともに扱ったのは東京新聞と朝日新聞くらいで、読売、毎日、日経、産経などの新聞にはまったく報道されなかった。
政治家やメディアの中には軍事利用に道を開きたいと思っている人がいるかもしれないが、たとえいても国民に知られないようにこっそりやろうと思っている人は、少なくともメディアにはいないと確信する。そうだとすれば、この問題に対するメディアの無関心さは、そもそも何なのだろう。
日本が原子力の軍事利用に道を開こうとしていると疑われたら、国際的な波紋は大きくなるに違いない。現に、22日の韓国の新聞には早くも警戒する声が報じられている。朝鮮日報は一面で「日本、ついに核武装への道を開く」との見出しの記事を載せ、東亜日報も一面で、原子力の軍事利用と核武装への道を開いたとの分析が日本国内からも出ている、と伝えている。
東京新聞の21日の紙面は、一面トップで「『原子力の憲法』こっそり変更」と真正面から論じ、衆院を通過するまで国会のホームページにも掲載されなかったと国民の目に触れない形で重大な変更がなされたと指摘、さらに解説として「手続きやり直しを」と主張している堂々たるものだ。
一方、朝日新聞の紙面は、一面2段で「目的に『安全保障』――原子力基本法にも追加」、四面に「疑念呼ぶ『安全保障』追加」と、東京新聞に比べるとささやかな扱いだが、それを補うように22日の社説で「『安全保障』は不信招く」と、次の国会で削除すべきだと論じているところは明快だ。
読売や産経新聞は賛成の立場からの無視だろうとある程度、推測できるが、毎日新聞の沈黙はどうしたことだろうと思っていたら、一日遅れで記事が出て23日の社説で「安全保障目的」は不要、とはっきり主張した。
産経新聞は24日の産経抄や社説で、韓国での報道を皮肉たっぷりに取り上げているが、読売新聞は24日までは無視をつづけている。
軍事利用への道といえば、08年にできた宇宙開発基本法にも「我が国の安全保障に資する」という文言があった。それに沿って今回、宇宙航空研究開発機構法まで駆け込みで改正され、「平和目的に限る」という文言が削除された。
原子力にせよ、宇宙開発にせよ、突然なぜこんなにもキナ臭くなったのか。世界でも珍しい平和憲法を持つ「平和国家、日本」がこれでは世界から疑われてしまうだろう。
日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士が結成時の委員だった「世界平和アピール七人委員会」は、今回の原子力基本法の改変に対して「軍事利用に道を開く可能性を否定できない。国益を損ない、禍根を残す」という緊急アピールを発表した。初代の原子力委員会委員だった湯川博士も、天国で嘆いているに違いない。
福島原発の事故で、たとえ平和利用に限っても日本は原子力発電をやめるべきだという声が強まっているとき、軍事利用にまで広げようというのなら原子力開発は直ちにやめるべきだ。
日本のメディアよ、しっかりせよ、とあらためて言いたい。
四つの原発事故調――原因の究明は期待できるのか
ところで、福島原発の事故から1年3カ月が過ぎたが、いまだに原因の究明はどこまで進んでいるのかさっぱり見えてこない。原因の究明に当たっているのは、政府の事故調(畑村洋太郎委員長)、国会の事故調(黒川清委員長)、民間の事故調(北澤宏一委員長)、東京電力の事故調(山崎雅男副社長が委員長)の四つもある。
このうち東電の事故調は、事故を起こした当該社なのだから入れるべきではないという声もあろうが、当該社だけに最も真相に迫りやすい利点もあり、もし東電が本気で究明に取り組めば意義のある結果もあり得ると私は秘かに期待していたのである。
しかし、20日に発表された結果はまったく期待を裏切るものだった。自己弁護と他への責任転嫁に終始する、何とも情けない内容だった。「こんな会社が原発を運転していたのか」と、あらためて思うような調査結果であり、「こんな会社に原発の再稼動など許されない」(朝日新聞の社説)という声が出るのも当然だといえよう。
民間事故調(正式には独立検証委員会という)は、すでに2月末に報告書を出しているが、約30人のスタッフが約300人にインタビューしたという内容はなかなかユニークなものではある。しかし、東電にインタビューを断られるなど、権限のない民間であるが故の不完全さは否定できない。
残るは、政府の事故調と国会の事故調だが、政府事故調は最初から「責任を問うものではない」と言明しているところがもの足りなく、権限を持ち、すべて公開でやってきた国会事故調に期待が集まっていた。
ところが、今月9日に国会事故調が発表した「論点を整理した見解」を見て仰天した。東電と官邸との間で真っ向から対立していた「全面撤退」か「一部退避」か、という論争に、何ら根拠も示さずに東電側の主張を支持したからだ。
私も傍聴していて両者の言い分を直接聞いたからよく覚えているのだが、当時の海江田経産相や枝野官房長官は清水東電社長から深夜に受けた電話の内容を詳しく証言し、「全面撤退と受け止めたからこそ、菅首相の東電乗り込みとなったのだ」と主張したのに対し、清水社長は官房長官への電話についても「記憶にない」とはぐらかしたのである。
そもそも一部退避なら社長が深夜にたびたび電話するような話ではないのだから、東電が一時、全面撤退を考えたことは間違いないと思うのだが、それを否定した国会事故調の見解に、メディアは疑問の声さえあげなかったのだ。
とくにひどかったのは朝日新聞の報道である。朝日新聞は昨年、「プロメテウスの罠――官邸の5日間」で東電が全面撤退を通告してきたことを詳細に検証していたのに、10日の紙面は国会事故調の見解をそのまま伝えただけという奇妙な報道となったのだ。
最終報告書が出たとき、どう報じるかいまから注目して待ちたい。
沖縄に垂直離着陸機オスプレイはいらない!
今月のニュースでは、もう一つ、沖縄の普天間基地に配備されることになっている垂直離着陸機MV22オスプレイが、モロッコでの事故に続いて米国でも事故を起こし、沖縄県民の不安を掻き立てたことがある。
もともと欠陥機とさえいわれているほど事故の多いオスプレイを、市街地のど真ん中にある世界一危険な基地に配備しようとすること自体、無茶な話であり、日本政府は当然、配備の中止を米国に要請するものと思ったら、どうもそうではないらしい。
ちょうど23日は沖縄慰霊の日で、せっかく野田首相が沖縄を訪問したというのに、知事からの「県民の声に応えてほしい」という要請に対して、首相は「政府として責任を持って説明する」とすれ違いのような会談に終わってしまったようなのだ。
沖縄県民の願いは一つのようだから、あとは本土のメディアがどこまで沖縄県民の応援ができるかにかかっているといえよう。沖縄県民の意思を踏みにじって日米同盟の進化なんてできるわけがない、と本土のメディアがこぞって米国に訴えれば、案外、米国も分かってくれるのではないか。
これ以上、沖縄県民の願いを無視し続ければ、何が起こるか、想像することさえ難しくなる。
*
原子力基本法の「改変」に関する韓国での報道については、
今週の「パンにハムをはさむニダ」でも取り上げています。
昨年末の武器輸出三原則の緩和など、
重要な問題がほとんど議論されないままに動いていると感じることが、
最近とても多いような気が。
もちろん、一人ひとりがアンテナを張っていることも必要なのですが、
大手メディアで報道されるか否か、もやっぱり大きいと思うのです。
柴田鉄治さんプロフィール
しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。