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2011-06-29up
柴田鉄治のメディア時評
第31回
その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。
北海道新聞はおかしくないか、他紙も見て見ぬふり?
6月18日の朝刊の社会面に小さな記事が載った。朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も、どこもベタ記事だったから、気がつかなかった人も多いに違いない。北海道警の裏金問題について書かれた2冊の本の記述に名誉毀損の部分があると、元道警総務部長が北海道新聞社と2人の記者、それに出版社を訴えていた訴訟に対し、最高裁が上告を棄却して道新などの敗訴が決定したという内容である。
3紙の記事とも詳しい経緯の説明もなく、「72万円の支払いを命じた2審の判決が確定した」という骨子だけの記事だから、これまでの動きを詳細に追ってきた人以外は、何のことかさっぱり分からなかったに違いない。
たまたま私は、この訴訟の背景にある事実を知って「日本のジャーナリズムにとって重大な問題だ」と注目してきたことなので、この機会にその事実を皆さんに伝え、皆さんにも一緒に考えてもらいたいと思う。
話は7年前にさかのぼる。北海道新聞は、2003年から04年にかけて道警の裏金問題を徹底的に暴く大々的な調査報道を展開した。裏金とは、正式の予算として認められている、たとえば捜査報償費などの項目を予算通り使用したように見せかけて、他に流用することだ。これまでにも全国各地の警察で時々、明るみに出た問題である。
裏金の目的は、飲み食いなどの私的な流用もあるだろうし、転勤者への餞別などにも使われていたようだ。「不正を取り締まるべき警察が裏金づくりとは」と明るみに出るたびに大きな話題にはなってきたが、それ以上には進まなかった。
ところが、北海道内で抜群の力を持つ道新が、全力を挙げて取り組んだ裏金キャンペーンだけに成果も大きかった。03年11月、ついに道警本部が組織的な裏金づくりをしていたことを認め、警察官らが自腹を切って合計9億6000万円のカネを国庫や道に返済するとともに道民に謝罪した。組織的な裏金づくりを公式に認めた全国初のケースとなったのだ。
この偉大なジャーナリズムの成果は、04年度の新聞協会賞をはじめ、日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞など、ジャーナリズムに関する賞を総なめにするという輝かしい結果となって現れたのである。
ここまでは「さすがは道新だ!」という絶賛の声が全国に鳴り響いたのだったが、そのあとがいけなかった。恐らく、この道新の輝かしい成果に対して道警側が「報復的な行動」に出たのだろう。道新だけには教えないといった嫌がらせがつづき、それに悲鳴を上げた道新側が毅然とした姿勢をとらずに、道警との「関係修復」に動いたようなのだ。
05年7月から06年5月にかけて道新の編集幹部と元道警総務部長が30数回にわたって密かに会談したことが、のちに明るみに出る。この会談で、道新側から「どうしたら許してもらえるか」といった奇妙な問いかけまであったようなのである。
この会談と併行するような形で、道新側の不可解な動きが次々と出てくる。06年1月に、9ヶ月も前の記事に対する訂正記事が突然出て、編集局長や裏金取材班が処分されたり、裏金取材班の主要メンバーを次々と人事異動したり、したのだ。
06年5月に、元道警総務部長が起こした名誉毀損の裁判も奇妙なものだった。講談社から出た『追及・北海道警「裏金」疑惑』と旬報社から出た『警察幹部を逮捕せよ!』のなかに出てくる「総務部長が本部長から叱責された」という部分に限っての訴えなのだ。
いずれも出版されてから2年も経ってからの訴えであり、その間に、出版社への抗議なども一切なかったというから不思議である。しかも、総務部長が本部長から叱責されたそもそもの原因が、裏金問題について「知事が調査すると答弁しないように」と道庁幹部に頼んだことだったというのに、その事実を大々的に報じた道新の記事は、裁判の対象からはずすという奇妙な訴訟だったのである。
この裁判の判決にもいささか首を傾げざるを得ないが、それよりなにより理解に苦しむのは、自社の輝かしい報道の成果を自ら貶めるという道新幹部の行動である。
メディアの調査報道によって不祥事を暴かれた権力や組織が、報復の脅しや嫌がらせをするケースは珍しいことではなく、それに対して最も大事なことは、当のメディアの幹部がいささかも揺らぐことなく、毅然とした姿勢を保つことだ。
米ワシントン・ポスト紙のウォーターゲート事件報道で、ニクソン政権からさまざまな脅しや嫌がらせを受けた同社のグラハム社主が「私が刑務所に行けばいいのでしょ」と平然としていたという話は有名だ。
また、道新に対する道警のあからさまな嫌がらせをそばで見ていながら、見て見ぬふりをしている他紙の姿勢も、いただけない。特ダネ競争は競争として、権力と闘うときにはメディアの連携が重要だ。
メディアの連携といえば、米ニューヨーク・タイムズ紙のペンタゴン・ペーパーズ報道で、政府から掲載を止められるやワシントン・ポスト紙やロサンゼルス・タイムス紙が次々とリレー掲載した話を思い出すが、何もそこまでいかなくとも、道新の孤立化を黙ってみていることはなかったと思う。
ところで、こうした道新の「変身」ぶりに嫌気がさしたのか、裏金取材班のデスクとして中心的な役割を果たしてきた高田昌幸氏が、この6月いっぱいで途中退社するという。社内に残って闘ってほしかったが、前途に希望が見出せなかったのだろう。
政治家の介入によるNHKの番組改変事件で、内部告発や法廷証言などで闘った永田浩三氏や長井暁氏らも相次いで途中退社している。
こんなことで日本のジャーナリズムは大丈夫なのだろうか。
もちろん、戦後の日本のジャーナリズムの歴史に燦然と輝く、あの道新ともあろうものが、こんなことで魂を失うとは思いたくない。いや、必ず立ち直ると、私は信じているが…。
*
「権力を監視する」ものであったはずのメディアが、
権力に接近し、取り込まれさえする。
そんな状況が「当たり前」のものになってしまっているとしたら?
「日本のジャーナリズムは大丈夫なのだろうか」。
柴田さんの問いかけに、あなたは何と答えますか?
柴田鉄治さんプロフィール
しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。