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2010-11-24up

柴田鉄治のメディア時評

第24回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

「尖閣ビデオ流出」をどう考えるか

 先月のメディア時評で、アポロの月着陸を上回るほどの関心を集めたチリ鉱山の救出劇の中継画像を30秒遅れにする計画があったという話を書いたところ、読者から「アポロの月着陸の中継画像も10秒遅れだったことを知っていますか」というメールをもらい、仰天した。

 現場で取材していた新聞記者が知らない話を知っている読者がいる、「読者ってすごいなあ」とあらためて感じ入った次第である。

 ところで、映像といえば、尖閣諸島の中国漁船衝突事件のビデオ映像がインターネットの動画サイトに流出したニュースが、日本社会を揺るがすような大きな波紋を描いた。この問題をどう考えたらいいのか、今回はこの問題を通じて、メディアの役割や論調の是非などをじっくりと考えてみたい。

 この事件をひと言で表現すれば「政府が隠している情報を内部の人間が国民に明らかにした」ケースだといえようか。こういう事例はけっして珍しいことではなく、昔からたびたび繰り返されてきたことだが、昔と違うところはメディアが関わっていないことである。

 かつては、こういうケースは必ずメディアに持ち込まれたものなのだ。持ち込まれた情報をメディアが判断し、メディアの責任で報道したものである。それがいまや、メディアは「お呼びでない」というか「蚊帳の外」というか、情報を持った人間が直接、ネットに出せる時代になったのだ。

 これは時代の変化であって、それをいいとか悪いとか論じても仕方のないことだが、ただ、メディアの記者たちはこの事態を深刻に受け止める必要があろう。というのは、国民に知らせたい情報を持った人間が、メディアに持ち込もうか、それともネットに出そうかと迷うとき、メディアを選ぶ人が減っているのではないかという危機感をもってもらいたいのである。メディアへの信頼感が薄まっているように思えてならないからだ。

 たとえば、状況は違うが、小沢一郎氏が検察審査会による強制起訴が決まってから、メディアには口をつぐみ、インターネットの「ニコニコ動画」に出演して初めて心境を語ったのもメディア不信の表れだろう。「小沢叩き」に狂奔したメディアに対する報復的な要素もあったのかもしれないが、いずれにせよ、メディアが大慌てでニコニコ動画の小沢発言を報じている姿は、ちょっと奇妙なものだった。

 話を戻して、尖閣ビデオは、世にいう「秘密の暴露」とか「内部告発」とかいわれるものとはちょっと違うものだった。中国漁船が巡視船にぶつかってきたことは、すでに発表されていた事実であり、ビデオの一部は国会議員には見せていたものだから、とても秘密の暴露とはいえない。いうならば、状況の「説明資料」ともいうべきものだろう。

 一般に、政府が隠している秘密を暴露した内部告発者は、国民の立場からは評価されるケースが少なくないが、今回の保安官がそれほどの秘密でもないものなのに、ひときわ「義挙だ」「英雄だ」と喝采を浴びたのは、ほかでもない。ビデオの内容が中国漁船の非を明白に示すものだったために、国民のナショナリスティックな感情に火をつけた面があるからだ。

 世論調査ではないが、共同通信が全国の1000人に訊いた調査では映像が出たことを「よかった」とする人が80%を超え、その理由に「外交で日本の立場をはっきりさせることができるから」を挙げた人が半数もいたという。

 安倍晋三元首相がメールマガジンで「勇気を持って告発した保安官」と賞賛したのもそれだろう。元首相が公務員の「造反」を称えるなんて噴飯ものだが、週刊誌などの報道にも、そういう方向のものが多かった。

 「ナショナリズムを煽る」ことは、メディアがともすれば陥りがちな大きな欠点の一つで、ジャーナリストが最も心しなくてはならないところだ。とくに領土紛争は、ナショナリズムに火がつきやすく、今回の尖閣諸島紛争も、日中両国でそれぞれメディアが煽った面がなかったとはいえない。

 ところで、尖閣ビデオの流出について、日本のメディアはどう論じたか。動画だから新聞よりテレビのほうが関心も高かったはずだが、テレビには「社説」がないので、新聞論調を中心にみてみたい。

 インターネットに映像が流出し、それが海上保安庁の作成した映像だと分かった11月6日の各紙は、一斉にこの問題を社説で取り上げた。「一般公開避けた政府の責任だ」(読売)「政府の対中弱腰が元凶だ」(産経)「迫られる尖閣ビデオの全面公開」(日経)「冷徹、慎重に対処せよ」(朝日)「統治能力の欠如を憂う」(毎日)「政府対応が招いた流出」(東京)といった見出しである。

 見出しだけでもざっと見当がつくように、「もともと公開しなかった政府が悪いのだ」と主張する読売、産経と、「流出者や情報管理が悪い」と批判する朝日、毎日と、大きく分ければそんな「二極分化」がみられよう。

 各紙の社説を読み比べてみて、私が「おや?」と思ったのは、この二極分化は、従来の「新聞論調の二極分化」とは方向が正反対、逆向きではないか、ということだった。

 日本の新聞は、70年代にまず産経が、次いで80年代に読売が、政府・与党寄りに論調を転換させ、「読売・産経 対 朝日・毎日」に二極分化したといわれてきた。したがって、これまでの読売・産経なら体制寄りで、体制にたて突く造反者を嫌う傾向だったはずなのに、それが政府を批判し、情報流出者をかばう姿勢をとり、逆に政府に批判的で情報公開にも積極的だったはずの朝日・毎日が、情報の流出を厳しく糾弾する論調を展開したからだ。

 恐らく、読売・産経の論調の背景には、先に指摘したナショナリズムの影と、政府寄りといっても民主党政権には厳しい姿勢をとっているところが噴き出したのだろうと、まだ分からないではない。分からないのは朝日の論調である。

 「政府の情報管理は、たががはずれているのではないか」に始まって、「仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない」とつづく。まるで、政府の一員であるかのような姿勢だ。

 これでは、もし、国民に知らせたほうがよいと非公開の資料を朝日新聞に持ち込んできた公務員がいたら、朝日新聞はどうするのだろう。

 「政府の意思に反する行為はやめなさい」とでも言って断るのだろうか。

 さすがに、これではまずいと思ったのか、11日、17日と相次いでこの問題を取り上げ、しだいにトーンダウンさせると同時に、情報公開の大切さや、国民の「知る権利」に奉仕するメディアの役割などを強調するように変えていった。しかし、急ハンドルは切れないもので、論旨がギクシャクしている。

 一方、読売新聞の社説も9日、11日、18日と相次いで取り上げ、今回の映像は公開すべきものだったが、一般論としての情報管理は厳しくせよという方向に主張を強めていったようだ。

 今回のビデオ流出事件で、最初からメディアは蚊帳の外だっただけでなく、論調までぐらぐらしていたら、信頼感は薄まる一方だろう。メディアよ、しっかりせよ! とあらためて言いたい。

 もう一つ、外国のニュースだが、メディアにとっては重要なテーマなので触れておきたい。英国の新聞が、国際サッカー連盟(FIFA)の副会長や理事に接近し、特定の開催地への投票を依頼して金銭を要求されたことを報じたのである。

 これは、「おとり取材」といわれるもので、欧米のメディアでは珍しくないものだ。たとえば、2002年、英国の新聞記者が米国の銀行家になりすまし、ある大学関係者に「貴大学に入学したい息子がいる。30万ポンドを寄付すれば助けになるだろうか」ともちかけ、「まったく秘密でお願いしたい」という返事を引き出して報じたことがある。

 また、2004年にはオリンピックの開催地をめぐってIOC委員に投票を依頼し、今回と同じように金銭を要求されて報道したケースがあった。

 FIFAでは、この報道を受けて副会長や理事を資格停止処分にした。日本では、こうした「おとり取材」は、犯罪をそそのかすものだとして、認められてはいないが、社会の不正を正すには、メディアにはこのような大変な努力が必要なのだ、ということをかみしめる事例として取り上げておきたい。

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ブログやツイッターも含め、
「大手メディアの手を通さない情報発信」が当たり前の時代の、
まさに象徴ともいえる「ビデオ流出」事件。
だからこそ、大手メディアが何をすべきなのかが、
よりいっそう問われているのかもしれません。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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