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柴田鉄治のメディア時評(10年04月28日号)

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

『組織ジャーナリズムの敗北 続・NHKと朝日新聞』 (岩波書店))

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沖縄密約訴訟で画期的な判決――「政府のウソ」を正す闘いに強力な援軍

 国家と国民との関係を考えるとき、私が真っ先に思い浮かべるのは戦前・戦中の日本である。戦う少国民を育てるためにと小学校を国民学校と改称した学校で、私は「すべてはお国のために。国民はお国のために命まで捧げよ」という教育を受けた。国家は常に国民のうえに君臨し、国家にたてつく国民は「非国民」といわれ、場合によっては監獄に送り込まれるような社会だった。

 その一方で、国家は国民に平気でウソをつき続けた。敗戦の直前まで「勝った!勝った!」と言い続けた「大本営発表」などはその象徴である。新聞、ラジオなど当時のメディアは「政府のウソ」を正すどころか、そのお先棒を担いでいたのだ。

 この国家と国民の関係は、戦後、新憲法によって大逆転した。主権在民、国家の主人は国民であり、政府や官僚は国民に奉仕する「公僕」なのだと教科書にあった。そして、メディアも生まれ変わり、国民の立場から政府や官僚をチェックするのがメディアの役割なのだ、となったのである。

 前置きが長くなったが、この主権在民の国で、政府が30余年間にわたって国民にウソをつき続けている事件がある。沖縄密約問題だ。しかも、そのウソが明確にばれたのに、政府はしらを切り続けているのである。

 「政府のウソ」を正すのは、本来、メディアの役割であるはずなのに、そのメディアが政府との闘いに「敗北に次ぐ敗北」を重ね、政府の「高笑い」が続いてきたのだ。そこに現れた強力な援軍、それが4月9日、東京地裁で下された画期的な判決である。司法が国民の立場に立って政府を叱りつけた「明快な司法判断」だったといえよう。

 この判決の意味を考える前に、これまでの経緯をざっと振り返ってみると、話は1972年の沖縄返還まで遡る。当時の佐藤政権は米国との交渉に当たって数々の密約を結んだ。その一つ、米国が支払うべき原状回復費を日本が肩代わりして米国が支払ったようにみせかける密約の存在を、毎日新聞の西山太吉記者が外務省の女性事務官の協力を得て入手した極秘電報によって知ったのだ。

 「政府のウソをメディアが正す」という日本のメディアにとって輝かしい成果となるはずだったこの事件が、意外な展開となる。最初の「躓き」は、毎日新聞がこの大ニュースをなぜか一面トップで報じることをせず、極秘電報を野党議員に渡して国会で追及してもらうという方法をとったことである。

 しかも野党議員がその電報を政府側に見せてしまったため、情報源が特定されて、政府側は西山記者と女性事務官を国家公務員法違反で逮捕し、起訴状にわざわざ「情を通じて」と記すことによって密約問題をスキャンダルにすり替えてしまったのだ。

 もちろんこの段階でも、取材方法の是非と密約とは別のことだと切り離して、密約問題を追及することはできたはずなのに、メディアは世論の風当たりの強さにひるんで、それをしなかったのである。それが「第二の躓き」だった。

 その後、ときは流れ、まず米国から密約の存在を示す公文書が出てきた。米国の公文書館に通って膨大な資料の山のなかから目指す文書を探し出した琉球大の我部政明教授らの熱意が実ったものだ。次いで、当時の日米交渉を担った外務省のアメリカ局長、吉野文六氏が「密約はあった」と証言した。北海道新聞、往住嘉文記者の貴重なスクープだった。

 ところが、これほど証拠がそろったのに、政府は「密約などは存在しない」としらを切り続けたのだ。この段階でのメディアの追及がなんとも手ぬるかった。これを「第三の躓き」といっては酷だろうが、「政府のウソ」に対しては、メディアが「糾弾の砲列」を敷くべきだったのである。

 たとえば、毎日開かれる官房長官の記者会見で、各社の記者が入れ替わり立ち替わり「米国の公文書はニセモノだと思うか」「吉野氏はウソをついていると思うか」と問いただし、その応答を報じていくような手法があってもよかったろうに、残念ながらそんな気迫は見られなかった。

 政府のウソを正すには三権分立の立場から国会や裁判所の役割も大事なのだが、悲しいことに「司法のチェック」も働かなかった。西山・元記者が密約の新証拠をもとに名誉回復と国家賠償を求めて起こした訴訟に対して、裁判所は民法の除斥期間20年をすぎている、いわゆる時効だとして「門前払い」にしたのである。

 こうした状況をなんとか打開しようと出てきたのが今回の「沖縄密約文書開示請求訴訟」である。西山記者事件とは切り離して、国民の「知る権利」を真正面に掲げ、情報公開を求める裁判にしたのである。

 この裁判の原告25人の中に私も名を連ねた理由は、「政府のウソを正すのは本来、ジャーナリストの仕事のはずだ」と考えたからである。しかし、肝心のメディアの関心は薄く、昨年3月にこの訴訟が提起されたときの報道は、朝日も毎日も読売新聞もベタ記事だった。

 ところが、この裁判を担当する東京地裁の杉原則彦裁判長の姿勢は違った。6月の第1回口頭弁論で、文書の不存在を主張する被告の国側には「米国の文書の存在をどう考えたらいいのか」と釈明を求め、原告側には吉野文六・元アメリカ局長を証人尋問に出てもらうように求めるという訴訟指揮をとったのだ。

 一方、8月の総選挙で歴史的な政権交代があって、社会の空気もガラリと変わった。自民党政権下での密約はすべて明るみに出すと宣言していた民主党政権の誕生で、密約に対するメディアの関心も高まり、密約の存在を認める外務省高官の証言や、歴代事務次官の間で密約文書の引継ぎがなされていたこと、情報公開法が施行される直前に大量の機密文書が廃棄されたこと、さらには佐藤元首相の私邸から沖縄・核再持込み密約の合意文書が出てきたこと、などが次々と報道された。

 しかし、密約報道は増えたとはいえ、主権者の国民を騙し続けた政府のウソに対するメディアの姿勢は、なんとも甘いというか、厳しさに欠けるものだった。たとえば核再持込み密約の文書を私邸に持ち帰っていたなんて、公文書の保管のしかたとしても、とんでもない話なのに、読売新聞の社説は「東西冷戦下の苦渋の選択だ」と佐藤首相を評価するような論評を掲げ、朝日新聞の天声人語は「とまれ文書は破棄されず、秘密は広く共有された。歴史の審判を待つ故人の遺志を、そこにみる思いもする」と書いている。

 もし佐藤首相に歴史の審判を待つ気持ちがあったのなら、合意文書を私邸にこっそり持ち帰ったりするはずはないし、非核三原則が評価されてのノーベル平和賞の受賞も秘かに辞退していたはずである。

 また、岡田外相が外務省内に密約文書を探し出すチームを組織し、出てきた文書を評価する有識者委員会を立ち上げたところまではよかったが、東郷和彦・元条約局長が「赤いファイルに入れて引き継いだ」と証言した秘密文書が半分しか見つかっていないことや、密約中の密約だといっていい核再持込み密約を有識者委員会が「密約とはいえない」と奇妙な判定を下したことなどに対して、メディアの追及は極めて甘く、厳しさが足りなかったといえよう。

 こういう状況のなかだけに、今回の密約文書開示請求訴訟の判決がひときわ注目されたわけだが、4月9日午後2時、傍聴席までぎっしり埋まった東京地裁103号法廷で、杉原則彦裁判長が言い渡した判決は、国民の立場に立った素晴らしい内容だった。

 まず被告の国側が「存在しない」と主張した文書について、原告側の立証で存在していたことは明らかで、「廃棄したと国が立証しない限り保有していると認められる」とし、国に開示するよう命じたのである。

 国が不存在といえば済むようでは、情報公開制度は有名無実になってしまうのだから、この論理は今後に大きな道を開く貴重な一歩だといえよう。

 判決はさらに、「廃棄したとすれば、外務省や財務省の高位の立場のものが関与したと解するほかない」と組織的な廃棄の疑いにも言及、文書の探索は不十分で、国民の「知る権利」をないがしろにする国の対応は不誠実だとして、原告に国家賠償の支払いまで認めたのだ。

 判決の中で最も感動的だったところは「原告の求めていたものは、文書の内容ではなく、密約の存在を否定し続けた国の姿勢の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現だった」と指摘していることだ。まさに、裁判長が国民の立場に立って政府の姿勢を叱ったものといっていいだろう。

 判決後の記者会見で、清水英夫・弁護団長は「30有余年にわたる情報公開の運動のなかでも最高の成果だ」と判決を高く評価したが、私も原告の一人としてこんな感想を述べた。「長い間メディアも国会も司法も『政府のウソ』を正せなくて暗い気持ちにさせられていたが、日本の司法はまだ死んでいなかった。この判決をみて未来に明るい光が射した感じだ」

 この判決に対するメディアの報道も、久しぶりに足並みがそろい、一斉に高く評価したことも嬉しかった。

 しかし、この判決ですべてが解決したわけでないことはいうまでもなかろう。判決を不満として国側が控訴したため、裁判はさらに続き、最終的な司法判断がどう出るかも予断は許さない。これからのことを考えると、司法判断も大事だが、もっと大事なのは「政府のウソは許さない」というメディアの姿勢である。

 杉原判決の指摘した「民主主義国家における国民の知る権利の実現」が達成できるかどうかは、日本のメディアの「闘う姿勢」にかかっているのだ。今回の画期的な判決をきっかけとして、日本のメディアにこれまでとは違う一層の奮起を期待したい。

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