その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。
しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。
日本の戦後史にとって2009年8月30日は画期的な日となった。第45回総選挙で、日本国民は劇的な政権交代を実現させたのである。
敗戦直後の片山政権とか、90年代の細川政権の誕生とか、自民党の一党支配が崩れた瞬間は何度かあったとはいえ、それらは一時的なもので、今回のような本格的な政権交代は初めてと言っていい。しかも、民主党308議席、自民党119議席という大差の逆転劇だった。投票した当の国民が、アッと驚くような結果だったのである。
この逆転劇、国民は驚いても、日本のメディアは驚かなかった。ほとんどすべてのメディアが、政権交代を予想していたのである。メディアの選挙予測は、記者が足で取材する情勢調査と世論調査方式によるサンプル調査を組み合わせたものでおこなうが、今回は世論調査主導で、それが見事に的中した結果を導き出した。
私が現役の記者だった30年前から選挙結果の予測は、最も重要な報道活動だった。いや、結果の予測だけでなく、開票作業が続く中での「当確判定」がどの社が早いか、その優劣も競い合ったのである。
選挙結果の予測については、30年前と基本的にはあまり変わっていないが、当確判定については、当時と比較にならないほど変わってきた。その理由は、開票作業が全体的に早くなったことと、90年代から「出口調査」という新しい手法が加わったことである。
30年前は、開票作業が2日間に及ぶケースも少なくなく、1日目の開票が終わった段階で当確判定を迫られる新聞などは、厳しい決断に脂汗をにじませたものである。それが、いまや夜半までには必ず開票が終わるので、翌朝の紙面に当落が載っていない新聞はなくなったのである。
とはいえ、当確判定の速さを競い合うメディアの闘いは、なくなったわけではなく、新聞よりテレビで分秒を争う「当確判定競争」が激しくなった。テレビ局同士の争いといっても、テレビ局単独で当確判定をおこなっているところはNHKぐらいなもので、民放各社は系列の新聞社と組んで判定作業をおこなっている。
この競争が激しくなって、いまや投票が終わる午後8時を期して、「午後8時1分」には当確を打つという離れ業が横行している。開票率ゼロで結果を報じるというのは、本来、ルール違反のはずなのだが、そんな芸当が可能になった原因は「出口調査」という新しい手法によることはいうまでもない。
投票日前の世論調査方式のサンプル調査では、投票に行かない人の分まで含めた有権者全体の縮図を明らかにしようとするのに対して、投票所での出口調査では実際に投票した人のサンプルだから精度が格段に高まるからだ。
選挙結果の予測や当確判定のやり方などについて、ながながと述べてきた理由は、ほかでもない。こうした選挙に関する報道の「手の内」をメディアは、読者や視聴者にもっと詳しく説明すべきだと思うからだ。
というのは、今回の総選挙では、予測がすべて当たったからよかったが、もし、予測が違っていたら、「なぜ間違えたのか」その理由を詳しく分析する検証報道が必要だったはずだからである。
今回の総選挙の劇的な結果を見事に当てた時だけに、こうしたメディアの手法や「手の内」について読者や視聴者に説明するチャンスだったように思うのだ。私がとくにそう思ったもうひとつの理由は、選挙の直前に出た朝日新聞社のジャーナリズム研究者向けの専門誌、『Journalism』2009年8月号に「世論調査を調査する」という詳しい特集記事が載っており、そういう記事こそ、ひと工夫して新聞の紙面にほしかったと思ったからだ。
これからのジャーナリズムは、報じた事実がただ正確だったかどうかという結果だけではなく、その事実や結論がどういう手法によって導かれたものか、あるいはどういう情報源から得られたものか、その過程を明らかにすることがますます重要になってくるに違いない、と私は考えているからだ。
ところで、劇的な政権交代から約1ヶ月。世の中、こんなにも空気が変わるものかと、みんなびっくりしている毎日だが、そんな中で鳩山政権は順調な滑り出しをみせた。社民党、国民新党との三党連立の組閣人事もいろいろと驚く斬新さがあったが、なによりも鳩山首相にとって幸運だったのは、発足直後の「国際デビュー」にお誂えの場が用意されていたことだ。
国連気候変動サミット、「核のない世界」を目指す国連安全保障理事会首脳会合、国際経済の今後を話し合うG20首脳会合(金融サミット)、と目白押しに開かれた重要会議に出席して演説し、短期間に鮮烈なデビューができたのである。
とくに、国連気候変動サミットの開会式で演説し、米中などの削減努力を前提に2020年までの日本の温室効果ガスの削減目標を「90年比で25%」という思い切った数字を国際公約し、先進国の途上国支援策を「鳩山イニシアチブ」と名付けて世界に発信したことは、世界中から高く評価された。
日本国内には産業界などから「そんな数字を公約して大丈夫か」と危惧する声もないではないが、1997年の第3回気候変動締約国会議(COP3)の議長国として京都議定書をまとめあげた日本が、今年12月に迫った「ポスト京都議定書」を定めるCOP15を目前にして、世界をリードするイニシアチブをとったことは、称賛に値する。
おそらく戦後の日本が国際社会のなかで実質的なイニシアチブをとった初めてのケースなのではあるまいか。
また、プラハ演説で「核のない世界を目指そう」と宣言したオバマ米大統領が議長を務め、全会一致で核廃絶への初決議を採択した国連安全保障理事会首脳会合でも、鳩山首相は「唯一の被爆国である日本は、核廃絶に向けて世界の先頭に立たなければならない」と決意を表明し、「世界の指導者はぜひ広島、長崎を訪れ、核兵器の悲惨さを心に刻んでほしい」と訴えた。
この演説の中で、鳩山首相が「日本は核を持たない強い意志」を示すため「非核三原則の堅持を改めて誓う」と述べたことは、特筆に価する。というのは、「核持込みをめぐる日米の密約」が次々と明るみに出てきたために、「非核三原則が危ない」という声が高まってきたときだからだ。
こうした鳩山政権の滑り出しを日本のメディアはどう報じているか。もちろん、どの政権でも発足直後はメディアの評価は甘く、世に言う「蜜月時代」の時期にあたり、そのうえ「鳩山政権もなかなかやるではないか」というプラス評価が加わって、いまのところ批判的な報道は少ない。
強いて言えば、かねてから自民党政権への支持を明確にしていた産経新聞と読売新聞の「民主党批判」が際立っており、産経新聞はネットで「勇み足」をやって謝罪する一幕まであったほど。また、読売新聞の温室効果ガス25%削減目標に対する厳しい批判社説も目立っている。
しかし、産経新聞や読売新聞の民主党政権批判は結構なことだ、と私は考えている。というのは、メディアの最大の使命は「権力の監視」であるはずなのに、自民党政権時代はともすると産経・読売新聞が政府・与党の支持に回るため、権力の監視が十分に機能していなかった面があったからだ。
いまは民主党政権と蜜月時代にあるメディアも、やがて本来の権力監視の厳しい目を注ぐだろうし、それに産経・読売の批判的な目が加われば、メディアと政権の関係はいっそう緊張が高まって、日本の民主主義にとって好ましい状況が生まれてくるに違いない。
もっとも産経・読売新聞がまたまた変身して権力に擦り寄るようになったら、話は別であるが…。
ところで、政権交代による民主党政権とメディアという問題で、もうひとつ、どうしても触れておきたいテーマがある。それは、テレビやラジオなど放送・通信行政を統括している総務省の原口総務相が「放送を管轄する権限を総務省からはずして、米国のFCCのような独立委員会に委ねることを2年後をめどに検討する」と言明したことだ。
今後、どのように事態が進んでいくか、予断は許さないが、もし、これが理想通り実現すればすばらしいことである。日本の放送は戦後の一時期、政府から独立した「電波監理委員会」という行政委員会が統括した時があったが、それもつかの間、郵政省の管轄に移り、いまは総務省の管轄になっている。
政府は、電波という有限の資源を武器に放送を管理下におこうとしており、さらに放送局をテコに系列の新聞までコントロールしようとしているとさえいわれている。かねてからメディア関係者の間では、独立の行政委員会の管轄に戻すべきだという意見が強かったが、自民党政権では一顧だにされなかったのだ。
民主党政権が、放送事業の政府からの独立を考えているとすれば、それだけでも政権交代の意義があったと言っていいほどの快挙だといえよう。
かつてないほどに「政治」のニュースがメディアを賑わす昨今。
政治そのものの動きと同時に、
メディアがそれをどう報じるのか、
「権力監視」という役割をしっかりと担えているのかも、
見ていく必要がありそうです。
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