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柴田鉄治のメディア時評(09年8月26日号)

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

『組織ジャーナリズムの敗北 続・NHKと朝日新聞』 (岩波書店))

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日本のメディアは「核」をどう考えるのか

 今年もまた、原爆忌、終戦日の夏を迎えた。64回目である。晴れ上がった夏空を見ると、あの日のキノコ雲と終戦の玉音放送を思い出す。キノコ雲は、実際に見たわけではないが、「あの夏」の連想に欠かせない存在だ。

 人類が核兵器を開発し、使用してから64年も経つというのに、核廃絶は遅々として進まない。核保有国は、米、ロ、英、仏、中の5カ国から、イスラエル、インド、パキスタンと増え、さらにイランや北朝鮮まで持ちたがっているのだから、なんともうっとうしい限りである。

 しかし、今年はそこに一筋の光が射している。「核兵器のない世界を目指そう」というオバマ米大統領のプラハ演説だ。「保有国で核兵器を使用した唯一の国の道義的責任」にも初めて言及したのである。

 世界で唯一の被爆国、日本の国民、なかでも被爆者たちは、オバマ演説に感動し、今年のヒロシマ平和宣言は、「核廃絶、yes we can」と世界に呼びかけた。

 この記念すべき年に、日本のメディアは核兵器についてどう考えているのか。もちろん、オバマ演説を歓迎し、日本も「核のない世界」を目指すべきだという点では、ほぼ一致しているといっていいだろう。

 8月6日の原爆の日の新聞の社説は、読売新聞「オバマ非核演説をどう生かす」、毎日新聞「『核なき世界』へ弾みを」、日経新聞「『核のない世界』へ日本は主導的役割を」とずばりオバマ演説を見出しにうたったものが多く、朝日新聞の「『非核の傘』を広げるとき」も、やや違った角度から論じてはいても、「核のない世界を目指そう」という基本線は変わっていなかった。

 ところが、この各社の社説も、もう一歩、踏み込んで読んでみると、本当に「核のない世界」を目指そうといっているのか、疑問に思えてくるのだから悲しくなる。

 産経新聞の「北の核許さぬ決意明確に」と見出しから違う社説で、「米軍の核持込みを禁じたままで日本の安全は守れるのか」と論じているのは別だとしても、読売新聞の社説も「オバマ演説のあと、日本政府が、核抑止力の低下を懸念して『傘』の再確認に動いているのは当然だ」と書いている。これでは、「核のない世界」とは程遠いこととなろう。

 また、毎日新聞の社説のなかにも「日本の安全保障政策は転換期を迎えている。(中略)非核三原則見直しの議論が高まっているのも、そんな認識が強まっているからだろう」という一節があり、非核三原則を堅持する構えは見せていないのだ。

 朝日新聞の社説でさえ、北朝鮮への抑止として、米国の核先制不使用宣言には賛成していない日本政府の立場に理解を示すような論旨が読み取れるのである。こんなことで、「核のない世界」は目指せるはずはない。

 核兵器に「いい核」も「悪い核」もない。核兵器は存在自体、すべて悪だということでなくては、「核のない世界」は実現しないだろう。

 核問題と日本のメディア、という点では、8月15日の終戦の日のゴールデンタイムに、NHKが実施した「日本の、これから “核廃絶”は可能か?市民が本音で徹底討論」という2時間半に及ぶ番組には驚かされた。

 番組のなかでNHK自身もしきりと強調していたのは、核問題を真正面に据えて、これほど真剣に、長時間にわたって議論をしたことは過去にも例がない、ということだった。

 確かにテーマだけみても、①核兵器が保つ平和…“核の傘”は必要か②“非核三原則”堅持すべきか、見直しか?③“日本が核保有!?”米議会こんな議論も…④北朝鮮核開発・どう対応?対話か圧力か…⑤“核兵器なき世界”オバマ大統領の演説で国際社会が動き始めた⑥戦後日本のジレンマ、唯一の被爆国として…非核の誓いと安全保障、と実に多岐にわたっている。

 しかも、さらに驚くべきことは、それぞれのテーマについて、賛成と反対と、賛否半々に近くなるように市民が選ばれていたことだ。そのほうが議論は活発になり、番組としても面白くなることは分かるが、核兵器の効用を語る人が日本社会にこんなに多いとは、という点で大きな違和感を残したといえよう。

 たとえば、最後のテーマ、「戦後日本のジレンマ、唯一の被爆国として…非核の誓いと安全保障」は、賛否両論だけでなく、日本は①あくまで非核で②米国の核の傘で③自らも核武装して、という三つの選択肢に分かれて議論が戦わされたが、核武装論者の威勢のいい発言ばかりが、いやに目立つ結果となった。

 外国の人がこの番組をみていたら、日本もやがて核武装にいくな、と誤解するに違いなかろう。

 そんな誤解を与えるような番組はよくない、やめるべきだ、と私は言うつもりはない。議論は大いにやったらいいし、少数意見を大事にすることも必要なことだ。

 しかし、番組を見ていて、私が「ちょっとおかしいな」と感じたことは、NHKがしきりと「議論は大切だ」と強調しすぎた点である。異論・反論が出そうな番組だけに、あらかじめ予防線を張ったのかもしれないが、それにしても異常な強調ぶりだった。

 そして、番組のなかで、出演者の色分けとは別に、全国世論調査の結果を持ち出して、核問題について「国政レベルで議論が必要と思う」75%、「そうは思わぬ」19%という数字まで示したのである。

 この世論調査の設問は、いささかおかしい。どんなテーマでも「議論が必要か」と訊かれれば、「必要だ」と答えるだろう。それをもって核問題に対する国民の意識が変わってきたと印象付けようとしたのなら、それは明らかに間違いである。

 たとえば、それとよく似た例に、「憲法改正は必要と思うか」という設問がある。憲法のどこをどう変えるか訊かなければ意味がないのだが、それを訊かずに全体の印象を訊いて「憲法の改正を必要と思っている人が多い」という答えを引き出し、憲法9条の改正をもくろむケースがあるのだ。

 核についてNHKがいま、国民をある方向に引っ張ろうとしているとは、思えないが、先月のメディア時評で書いたように、いま、非核三原則が危ういところに来ているだけに、いささか気になるNHKの特番だった。

「非核三原則」までが揺らぐのか、
それとも「廃絶」に向け、世界の主導権を握るのか。
日本の前にあるその選択に際して、
メディアが与える影響は決して小さなものではありません。
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