2009年スタートの新連載は、「柴田鉄治のメディア時評」です。
その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。
しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。
マガジン9条にとって、5月は憲法記念日のある大事な月だ。今年の憲法記念日の報道は、いつになく穏やかで、私たちの最大の関心事である憲法9条についても正面から触れてないメディアも少なくなかった。この原因は昨年の世論調査で9条の改定に国民の急ブレーキがかかったためだが、改憲派は集団的自衛権の「解釈改憲」を狙っているふしもあり、こんなに気をゆるめて大丈夫なのか。
それはともかく、昨年の世論の急ブレーキは見事だった。改憲派の安倍晋三政権が憲法9条の改定を目指して国民投票法の制定を急ぎ、改憲に向けて急ピッチな動きをみせていた2年前に比べると、いまや様変わりの感がある。政治が改憲に向けて舵を切ったとたん、国民世論はその反対の方向に動いたのだから、そのバランス感覚には驚嘆というほかない。
とくに私が感動したのは、改憲派の読売新聞の世論調査の結果だった。2008年3月の調査は、「憲法を改正したほうがよい」42・5%より、反対の43・1%が上回ったのだ。93年から07年まで15年間も改正派が上回り、04年には65・0%が賛成だったのと比べると、隔世の感がある。
憲法改正といっても即9条の改定を意味するものではない。9条の改定にはどの世論調査でも反対意見が多いが、ただ憲法改正について聞けば賛成意見が多かったのである。それが、昨年は逆転したのだ。国民の急ブレーキがいかに強かったかがわかるだろう。
読売新聞の世論調査では、9条については02年から特別な質問の仕方をしている。普通に賛否を聞けば、反対が多くなることを見越してのことだろうが、答えを3つ用意して、そのなかから選んでもらう方式だ。その3つとは①これまで通り解釈や運用で対応する②解釈や運用で対応するのは限界なので9条を改正する③9条を厳密に守り解釈や運用では対応しない、である。
つまり、9条の改定に反対する人を①と③に分け、3つのなかでは②の改定派が一番多いように誘導したものだ。ところが、昨年の調査では①36%②31%③24%となって、②より①が多くなり、9条の改定に反対する①と③の合計は実に60%に達したのだ。
こうした国民世論の急ブレーキが効いて、国民投票法の成立で衆参両院に設けられた憲法審査会が2年間も「開店休業」の状態になり、改憲の動きは止まったままになっている。
こんな状況のなかで迎えた今年の憲法記念日だっただけに、メディアがどう報道するか、私なりに注目していたが、予想通りというか、予想以上に穏やかなものだった。
まず世論調査だが、注目の読売新聞の結果は、昨年より「改正したほうがよい」が増え、51・6%と反対の36・1%を上回り、再び多数派を占めた。04年ほどではないが、かつての状況に戻ったといえようか。
9条については①33%②38%③21%、と再び②が一番多い状況に戻った。しかし、①+③の9条改定反対派は合計54%と依然として多数派であることに変わりはない。
ところで、朝日新聞の世論調査はどうか。憲法全体について聞いた質問では「改正必要」53%、「必要ない」33%で、昨年の56%対31%と大差なかった。しかし、9条については、「変えない方がよい」64%、「変える方がよい」26%で、昨年の66%対23%より、僅かだが反対派が減っている。
昨年の国民の「ブレーキ」は、朝日新聞の調査にも表れてはいるが、改憲積極派の読売新聞の調査のほうにより強く表われているところが、国民の絶妙なバランス感覚の表われとして興味深い。
ところで、今年の憲法記念日の各紙の社説だが、こうした憲法9条をめぐる国民世論の動きと、「未曾有の経済危機」のなかで迎えたという事情が重なって、例年とはやや色合いの違ったものになった。
まず、改憲にせよ護憲にせよ、憲法9条の問題を真正面から扱った社説が極めて少なかったことだ。改憲派の産経新聞が、北朝鮮のミサイル発射問題などを取り上げて、憲法9条を早く改正すべきだと論じていたのが目立ったくらいで、他紙には9条や安全保障問題を真正面から論じたものはほとんどなかった。
産経新聞と同じく9条の熱心な改憲派である読売新聞の社説は、今年は大型の「1本社説」にはせず、普段と同じ半分の社説で「審査会を早期に始動させよ」という穏やかな内容だった。
「2年前、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が成立した。国民の手で憲法を改正するための画期的な法律である。ところがその後、憲法改正論議は失速した」と書き出したあと、「それにしても国会は、改正論議を、サボタージュしすぎているのではないか」と論じ、あとは「ねじれ国会」の機能不全ぶりを衝くことに終始している。
「鋭い国会批判」といいたいところだが、全体のトーンはむしろ「ぼやき」に近いといったほうがいい調子である。読売新聞の世論調査に表れた国民の「急ブレーキ」に、どう対処したらいいのか、読売新聞自身も戸惑っているような感じさえうかがえる。読売新聞の改憲志向そのものも少し「失速した」のかもしれない。
憲法9条についてはどちらかといえば護憲派である朝日、毎日、東京新聞の社説は、読売新聞とは違って、憲法記念日にみな大型の1本社説を掲げた。ところが、その内容は、ほとんど9条には触れていないものばかりなのである。
毎日新聞の社説のなかに、こんな一節があった。「憲法問題への国民の関心は高いとはいえない。『世界同時不況』で暮らしが脅かされており、語弊をおそれず言えば『憲法どころではない』という気分であろう」。この言葉が今年の憲法社説の全体の空気を象徴しているのではなかろうか。
毎日新聞の社説は「憲法記念日に考える もっと魅力的な日本に」という見出しで、日米関係などを幅広く論じたもので、「語弊をおそれず言えば」およそ憲法社説らしくない社説だといえよう。
朝日新聞の社説も「憲法記念日に 貧困、人権、平和を考える」という見出しのもと、憲法9条ではなく、憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に焦点を合わせて論じている。
この憲法25条は、GHQ(連合国軍総司令部)の草案にもなかったもので、日本側の要求で加えられたことや、当時の欧米の憲法にもあまりない先進的な人権規定であることなどを解説したうえで、戦後最悪といわれる経済不況の嵐が吹き荒れるなか、「いまこそ憲法25条と正面から向き合わなければならない時がきた」と述べている。
東京新聞の社説も「忘れたくないもの 憲法記念日に考える」の見出しで、やはり、憲法25条や憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、(中略)国政の上で最大の尊重を必要とする」にスポットライトを当てている。
日本国憲法には、9条のほかにも優れたところがたくさんあり、憲法記念日の機会に、それらの部分にもスポットを当てることは大事なことだが、最も優れているところで、かつ、最も改憲派に狙われているところは、何といっても9条なのだ。
国民の「急ブレーキ」で、危機は脱したと安心してばかりもいられない。ソマリア沖の海賊退治に自衛艦を派遣する法律ができたり、自衛隊をいつでも海外に出せるようにする動きが続いていたり、9条の精神から逸脱する動きにも目が離せない。
それに、世論の急ブレーキを見て、集団的自衛権を「解釈改憲」で実現しようという『企み』も垣間見られる。国民のバランス感覚には信頼を置くにしても、メディアはせめて憲法記念日くらいは、「9条を守ろう」という声を上げたいものである。
一時のような危機感が去った今こそが、
ほんとうの「危機」なのかも。
遠からずやってくるだろう総選挙に向けても、
「気をゆるめて」はいられません。
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