戻る<<

柴田鉄治のメディア時評:バックナンバーへ

柴田鉄治のメディア時評(09年1月28日号)

2009年スタートの新連載は、「柴田鉄治のメディア時評」です。
その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

『組織ジャーナリズムの敗北 続・NHKと朝日新聞』 (岩波書店))

※アマゾンにリンクしてます。

初の黒人米大統領に日本のメディアは期待と称賛の嵐

 いまから43年前、私が第7次南極観測隊に同行して昭和基地を訪れた帰途、南アフリカ共和国のケープタウンに寄港した際、あるレストランに入ろうとしたら「日本人か?中国人か?」と尋ねられた。

 中国人だと答えたら追い出されただろうとあとで聞いて、これが有名なアパルトヘイト(人種差別政策)かと驚くと同時に、有色人種の中で日本人だけは「名誉白人待遇」を受けていることを現地の日本人が自慢げに語るのをみて、怒るより悲しくなったことを思い出す。

 こんな昔話を突然思い出したのは、ほかでもない。オバマ米大統領の就任式の演説の中に「60年前には地元のレストランで食事をさせてもらえなかった父親を持つ男が、いま最も神聖な(大統領就任の)宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるとは」という一節があったからだ。 私もかつて米国取材で直接体験したこともあるが、米国の人種差別にはすさまじいものがある。今回の大統領選挙でも、オバマ氏の優勢が伝えられてからでも、新聞社内で誰に聞いても、米国通であればあるほど、「最後はどうなるか分からないよ」と疑問符をつける人が多かった。暗殺を心配する人も少なくなかった。

 それだけに、無事に就任式を迎えたことに日本のメディアは、驚きと喜びを爆発させ、新大統領への期待と、初の黒人大統領を誕生させた米社会のしなやかさを称える称賛の嵐一色になったのだ。

 米国の人種差別がいかにひどかったか、それは建国以来の歴史をたどってみれば歴然としている。建国の理念を掲げた独立宣言には、自由と平等が高々とうたわれていたにもかかわらず、そのとき国内には奴隷制度があり、アフリカから奴隷船で運ばれてきた黒人奴隷たちがこき使われていたのである。

 独立宣言をまとめたワシントン氏やジェファソン氏らの目には、おそらく黒人たちの姿はまったく入っていなかったに違いない。奴隷制度は、南北戦争を経て第16代のリンカーン大統領によってなくなったが、人種差別はその後も根強く残り、結婚の禁止はもちろんのこと、バスの座席まで隔離するような状況が最近まで続いてきたのである。

 日本人として忘れられないのは、太平洋戦争が始まるやいなや、日本から移民した米国市民たちを収容所に隔離した措置である。同じ対戦国民でもドイツやイタリアからの移民たちは収容所に入れたりはしなかったのだから、人種差別は明らかだろう。戦争の帰結は明白なのに、あえて人口密集都市に原爆を投下したことにも、その陰に人種差別があることを感じている人が少なくない。

 また、奴隷解放のリンカーン大統領も、黒人解放運動に尽くしたマルティン・キング牧師も、志半ばで暗殺されるという、重苦しい暗い歴史が米国には付きまとっている。

 そうした歴史に照らして考えてみれば、今回のオバマ大統領の就任は、大変なことである。日本のメディアが、テレビも新聞も、他国のニュースとは思えないほど熱気と興奮に包まれ、「期待と称賛の嵐」一色になったのも無理はない。日本の新聞が、就任演説の全文を英語と日本語の対訳付で特集したりしたのは、あまり例がないのではないか。

 イラク戦争をはじめブッシュ大統領の政策をことごとく支持してきた読売新聞や産経新聞まで、臆面もなくオバマ新大統領への期待と祝福の紙面を作っていることには、多少の違和感がないでもない。が、そんな野暮なことはいうまい。ブッシュ批判の急先鋒、オバマ新大統領への期待は、米国民をはじめ全世界共通のものだからだ。

 初の黒人大統領が誕生したという歴史的な意義は、これから何が起ころうが変わらないだろうが、オバマ大統領が全世界の期待に応えられるかどうかは、すべてこれからの言動にかかっている。

 たとえば、新大統領の就任直前を見透かすかのようなイスラエルのガザ地区空爆に対して、オバマ氏が沈黙を守ったことなど、早くも今後を危惧する声も出はじめているが、いまは静かに見守るときだろう。

 オバマ大統領への期待は、中東和平やイラク戦争の終結などいろいろあるが、最も期待したいのは、核兵器の廃絶と地球温暖化の防止に向けての動きである。就任演説では僅かに触れただけだが、それでも米国の大統領が「核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う」と宣言した意義は大きい。

 いま地球は、核戦争の脅威と地球環境の破壊の脅威に直面している。どちらが起こっても人類に未来はなく、どちらも、これまでのように米国が横を向いていたら、防げるものではない。

 とくに、核兵器のない世界を、と言い出した初めての大統領だと思うので、今後の動きを注目したい。世界で唯一の被爆国、日本のメディアは、筆をそろえて応援したいものである。

 かつて世界で最も過激な人種差別国だった南アフリカは、同時に、核兵器の開発を目指していた国だったが、アパルトヘイト政策を放棄して、黒人大統領が誕生した機会に、「核兵器を持っていても何のプラスもない」と核の放棄を宣言した国である。

 いま、かつての「人種差別国」、アメリカ合衆国に初の黒人大統領が誕生した機会に、核廃絶への動きが始まったとすれば、これほどすばらしいことはない。人種差別も核兵器もない世界へ向けて、人類は少しずつではあっても確実にいい方向に進んでいるな、と人々が実感できる話である。ぜひそうなってほしいものだ。

かつてないともいえる世界中の大きな期待を背負って、
ついに船出したオバマ政権。
「人類は少しずつでも、いい方向へ進んでいる」、
そう思えるような「変化」が実現に向かうよう、
日本からもしっかりと見ていきたいものです。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条