小津安二郎の映画「東京物語」に登場する年老いた夫婦は、都会で働く息子夫婦たちに会いに行くも、日々の生活に追われる子供たちのすげない態度に寂しさを覚えつつ、尾道の家に帰っていく。この作品を、半世紀後の現代にリメイクすると、さしずめ本書(「爪を噛む女」と「団地の女学生」を所収)のようなシチュエーションになろうか。高齢の親は、田舎から出てくるのではなく、都市郊外の巨大な団地にひっそりと住み、子供は、高度成長期を目前にばりばり働くサラリーマンではなく、介護というハードだが安い賃金の仕事に就く。
「爪を噛む女」の主人公、町田美弥は学生時代から女優を志し、スポットライトを浴びる世界を目指していた。しかし、挫折。在学中に就職活動をやってこなかったため、就職先も限られ、現在は同じ団地に住む老人を対象にデイケアをしている。
30代も終わりを迎えようとしているなか、自分は結婚もせず、このまま更年期を迎えてしまうのか。そんな焦りとも諦めともつかぬ、冴えない気分のなか、美弥は中学時代の親友、白川都と再会する。2人は地味な少女時代を過ごしたが、「タペストリー」というデュオグループを組み、学園祭ではそれなりの注目を集めていた。とはいえ都は大人しくて、内気。身長は高いが、運動は苦手。楽器もタンバリンしかできない。「タペストリー」はボーカル&ピアノの美弥の才能でもっている。美弥自身はそう思っていた。ところが時が経ち、立場は逆転する。表舞台に立ったのは美弥ではなく、「白川Miiya」の名でミュージシャンデビューした都だったのである。
「爪を噛む女」は、美弥の都に対する敗北感、嫉妬、悪意などネガティブな感情の横溢と、介護ヘルパーとして接する団地の老人たちの日常が並行して進む。この2つの流れがどこで交差するのかは、本書を読んでほしい。私たちは美弥とともに、自分の想像力の拙さと人間の複雑さを知るだろう。
続く「団地の女学生」のストーリーは、もう少しストレートだ。齢84となる川嶋瑛子が、同じ団地の住人で、40代独身のゲイ、ミノちゃんを同行者にして、故郷の高崎へ行く。夫の暴力に耐え切れず、離婚し、独り身で生活してきた瑛子にとって、それは60年ぶりの帰郷であった。すでに好々爺となった初恋の男性と瑛子の再会には、時の流れのつれなさとともに、淡い幸福感が漂う。能天気なミノちゃんの存在がなにより救いだ。
本書で描かれる登場人物たちの言動や仕草には、読者の気持ちと共鳴するところがいくつもあるだろう。団地を主な舞台に、30代後半の女性の揺れる気持ちと80代の老女の心境を細やかに描き出す、1963年生まれの著者の力量に感服する。
(芳地隆之)
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