井上ひさしさんが4月9日、肺がんのため亡くなった。75才だった。
本書を購入したのは、井上さんが代表を務めた劇団「こまつ座」による「紙屋町さくらホテル」が上演された東京・新宿の紀伊国屋ホールのロビーだった。8年ほど前のことだが、いま読み直してみると、井上さんや生活者大学校の講師が、現在につながる問題をいち早く指摘していたことがわかる。
生活者大学校の講座は、井上さんの「生活者の視点で自らの暮らしをもう一度見つめなおそう」という呼びかけで実現した。井上さんの故郷である山形県川西町に建てられた「川西町フレンドリープラザ」で1988年にスタートし、これまで21回を数える。本サイトで連載中の雨宮処凛さんも第20回「しごとと憲法」で講師を務めた。
本書に収められたのは第14回「グローバリゼーションとは何か」。農民作家の山下惣一さん、毎日新聞社の北村龍行さん、NGOジャパン・プラットホームの井出勉さんの講演だ。各自が農業、経済、平和貢献の視点からグローバリゼーションを批判的に捉え、それに代わる生き方を提言する。その後に井上さんがコメントを加える。
「農業は、つぶれることはあっても、日本から逃げ出すことはありません。しかし、国籍のない産業はどんどん出て行くと思うのです。そこが農業と他の産業の一番違うところだと思います」(山下氏)
外国に生産拠点を移すことなく、その土地で地道に作物をつくり続けてきた農業をないがしろにして、戦後の日本は発展してきた。
井上さんは「憲法と農業は国の基本」だと言う。安易な農産物の自由化に反対し、稲作が日本人の生活をいかに守ってきたかについての本(「コメの話」)も書いた。
第14回講座が開かれたのは9・11の直後だった。グローバリズムが猛威を振るうなか、北村氏は大量生産・消費に代わる経済活動のあり方、井出氏はアフガニスタンでの支援活動の実践について語る。
こうした人々が一堂に会するのも、世界で起こることを私の身近な問題として考える井上さんの存在があってこそだろう。
ちなみに冒頭の「紙屋町さくらホテル」は、原爆投下直前の広島で舞台「無法松の一生」の準備をする移動演劇隊・桜隊を題材にした作品である。人間性への賛歌と戦争に対する怒り、そして井上作品には欠かせない腹を抱えるような笑いのある舞台だった。現在、東京の新国立劇場では、栗山民也氏演出による「東京裁判3部作」の連続上演が始まっている。
白状すれば、いままで見た井上芝居のストーリーをきちんと覚えているわけではない。でも、身体は劇場という空間で過ごした幸せな時間を記憶している。
これが演劇のもつ力なのだと思う。
(芳地隆之)
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