先日、モスクワの地下鉄とロシア・北コーカサス地方のダゲスタン共和国で爆弾テロが起こった。チェチェン共和国独立派を中心とした武装勢力が実行を認めたという。
モスクワ劇場占拠(2002年)、前回のモスクワ地下鉄爆弾テロ、北オセチア共和国ベスランでの小学校占拠(ともに2004年)と、2000年代前半はチェチェンの武装勢力によるテロ事件が頻発した。ロシア政府が彼らへの軍事的締め付けを強化したことで、ここ数年、メディアの国際面トップを占めるような事件は見られなかったが、軍事力で紛争地域が平定されるほど、歴史は甘くない。それを今回、あらためて思い知らされた。
この映画は二十歳にも満たないワーニャが徴兵検査を受けるシーンから始まる。検査に合格した彼が向かったのはチェチェンの戦場だ。ワーニャは進軍の途中、ゲリラの攻撃を受け、上官のサーシャとともにチェチェン側の捕虜となる。ゲリラの頭目、アブドゥルは2人を自宅のロバの小屋に拘留した。ロシア軍の捕虜になっている息子との交換要員にするためである。
2人の捕虜に食事を与えるのはアブドゥルの娘、少女ジーナの役目だ。「ロシア人は敵」と言ってはばからないジーナだが、少しずつワーニャに心を開いていく。しかし、ワーニャとサーシャの脱走の失敗、アブドゥルの計画の頓挫などが重なって、サーシャは処刑、ワーニャも死を覚悟することになる。
ところがアブドゥルはワーニャを解放する。それは憎しみの連鎖を断ち切ろうとする行為であった。
自由の身になったワーニャのもとに4機のロシア軍ヘリコプターが飛んでくる。救援と思って両手を大きく振るワーニャの頭上を、ヘリは通り過ぎ、彼が囚われていたチェチェンの村へ向かう。「攻撃しないでくれ」。地上で必死に叫ぶワーニャの声を置き去りにして消えてゆくヘリ。チェチェンの村が爆撃によって無残な姿になるであろうことを予感させながら、画面はフェードアウトする。
ロシアが帝政時代に軍隊をもって併合したコーカサス地方は、いまもロシア人にとって異質な世界だ。チェチェンに駐留するロシア軍司令官は武装勢力を「山賊」呼ばわりする。
ロシア、チェチェンの双方が妥協しうる落しどころはあるのだろうか。
原作は今年没後100周年に当たるトルストイの小説である。それをボドコフ監督が現代のチェチェンに置き換えた。非暴力平和を唱え、コーカサス地方の人々に対する偏見からも自由であったトルストイ、チェチェン戦争が続いている最中にこの反戦映画をつくったボドロフ監督。両者に敬意を表さずにはいられない。
(芳地隆之)
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