マガ9編集スタッフの1人が以前、テレビの情報番組を「他人のふんどしで相撲をとっている」と表したことがある。アナウンサーやコメンテーターが新聞記事をピックアップして、それに論評を加えるというあまりにチープな番組作りをしているからだ。これなら、裏献金疑惑の民主党・小沢一郎幹事長に対してマスメディアが一斉に非難の大合唱を始めるのも頷ける。ネタの出所が一緒だから、大本営発表になるのである。先日、若いアナウンサーがエリート検察官の仕事振りと年収を嬉々として説明したり、小沢氏の乗るワゴン車をテレビ局のヘリコプターが空撮したりする番組を見たときは、さすがに眩暈を覚えた。
本書はマスメディアのジャーナリズムを批判するものではない。もっと構造的な問題、マスを対象とした従来の新聞やテレビのビジネスモデルがもはや立ち行かなくなるということを論じたものである。
本書によると、メディアは3つのCに分けられる。すなわち、コンテンツ(新聞の場合は記事、テレビの場合は番組)、コンテナ(新聞紙面、テレビ受像機)、コンベア(販売店、地上波・衛星放送・CATV)。しかし、いまやコンテナ部分はインターネットによって多様化している。私の友人(30代半ば)は、ニュースはネットでチェックするので、新聞は読まないという。理由は「(ネットの方が)余計なコメントが少ないから」。
新聞やテレビの編集局によって決められる情報の重要度ランクは、ネット上ではもはやフラットにされてしまっている。加えて、不況による広告収入の減少と、2011年からの完全地デジ化と情報通信法の施行が、自ら紙面もつくり、自社の販売店を通して、家庭に配達するという従来の垂直統合型ビジネスモデルの存続を危うくする。
新聞の役割は、サービス産業というよりも、製造業に近いと思う。原料(取材ネタ)を仕入れて加工し、商品(記事)にする。これからの新聞社は商品価値を高めることに注力するミドルメディアへ移行すべきではないか。
新聞社が発行部数1000万を誇るようなこと自体、世界では例外であることを認識したほうがいい。フランスの「ルモンド」も、ドイツの「フランクフルターアルゲマイネ」も、ともに「全国紙」といわれながら、発行部数は35万部前後である。1000万部も発行していたのは、かつてのソ連共産党紙「プラウダ」くらいだ。テレビについても、数少ないキー局が電波を独占するような状態はいずれなくなる。
これから数年間で、私たちを取り巻くメディアの風景は確実に変わるはずである。
(芳地隆之)
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