「みんな祖国のために立ち上がろうではないか!」
小柄で髭をはやした教師が教壇でアジると、生徒たちは、
「祖国ドイツのために戦います!」と答えて次々に起立した。
第1次世界大戦時、20歳にも満たないギムナジウムの男子生徒たちは、町の人々の歓声に送られ、対フランスの戦場である西部戦線へと向かった。
軍隊経験のないやつは一人前じゃない! そんな気概に満ちていたが、若者たちが戦場で体験したのは、塹壕のなかで死と向き合う日々だった。そこでは兵士の脳漿や肉片が飛び散り、硝煙と異臭が漂っている。風雨に打たれても屋根の下で休むことは許されない。泥水のなかをネズミが這う。出征前は「かっこよく」見えていたヘルメットや銃は予想をはるかに越えた重さで、長身銃のベルトは肩に食い込み骨をきしませた。
こんなはずじゃなかった――気がついた時には、彼らはフランス軍と国境で対峙していたのである。
エーリヒ・マリア・レマルク原作の映画『西部戦線異状なし』は、映画史上最初につくられた反戦映画であろう。主人公は普通の青年たちである。戦車や戦闘機の登場は戦場空間を一気に拡大し、従来の戦争のような英雄や豪傑は必要としなくなった。
主人公パウルの同級生であった一兵卒が戦死した。彼は質のよいブーツを履いていた。「死人には必要ないから」と仲間の一人がそれを譲り受ける。だが、彼もやがて戦死。ブーツの持ち主は他の青年兵に代わる。人間は次々と死んでいき、ブーツは黙々と行軍を続ける。
恐怖と苦痛、そして抑えきれないホームシックが綴られた戦場からの手紙は、すべて検閲にかけられた。そして故郷の家族には、
――西部戦線異状なし、と伝えられた。
「みんな元気を出せよ。祖国ドイツのため、憎きフランスを倒すためにがんばろうじゃないか」
パウルは疲れ果てた戦友たちを鼓舞する。すると一人が彼に問う。
「国が国に怒るって何だ? ドイツの山がフランスの平野に怒る、とでもいうのか?」
『西部戦線異状なし』はアカデミー作品賞を受賞したが、同時に多くの国で上映禁止になった。当時の日本では、検閲によってフィルムはズタズタにされたという。上映禁止の理由は、この映画が「国って何だ?」という根本的な問いを投げかけているからだろう。
国家が引き起こすのが戦争であるならば、国家の存在を疑問に付すのも戦争である。
(芳地隆之)
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