早いもので、筑紫哲也さんがお亡くなりになってから、もうすぐ1年が経ちます。その1周忌に合わせるように、筑紫さんに関する本が数点、書店の店頭に並んでいます。筑紫さんの面影は、出版界にも色濃く残っているようです。
その中でこの『若き友人たちへ』は、ちょっと異色だと思います。
早稲田大学と立命館大学で、筑紫さんは客員教授を務めていました。そこでの膨大な講義録が録音されて残っていたのですが、そのエッセンスを抽出し、読みやすくまとめたものが本書です。私は、この本の編集・構成に携わりました。なるべく肉声を生かすように気をつけました。
若い学生たちを相手に、筑紫さんは、時には楽しげに映画や演劇を語り、時には厳しく政治を批評し、そして知を手にする喜びを説き続けます。憲法を蔑ろにする者には、罵倒とも取られかねない怒りを露わにし、普通の国になるべきだなどという連中に対しては、「悪いけどそれは私が死んでからにしてくれる?」とまで言っています。自らの死を予感していたのでしょうか。
ジャーナリズムを語る第六章は、本書の白眉です。ジャーナリズムとは何か、ジャーナリストに何が必要か、ジャーナリズムが陥りやすい罠とはどういうものか。筑紫さんの長いジャーナリストとしての経験から語られる言葉は、記者や編集者を目指すものには必読です。
編集過程で私が最も面白く感じたのは、「あとがき」にかえて収録された「思い出す事など」でした。実は、これは新発見の原稿なのです。16歳の筑紫少年が自らの16年間を振り返って書いた「小さな早すぎる自叙伝」です。筑紫さんの娘さんがお持ちになっていたものだそうです。これが実に面白いのです。
佐野眞一さんは「青春と読書」(集英社の出版PR誌)11月号で、本書に触れて次のように書いています。
「…十六歳のとき書き綴った作文は、つたないものだが、この青春の心の記録には、劣等感に苛まれる筑紫少年の原風景が痛々しいほど浮かび上がって、却って興味深い。…」
佐野さんが書いているように、確かに“つたない”けれど、原稿用紙20枚ほどのこの“青春の告白”は、読む者の心を熱くします。カッコもつけたい、見栄も張りたい、しかしどこかで、それでいいのかお前、と呼びかける声に必死で応えようとする16歳の少年の“痛々しい原風景”が、余すところなく表現されていると思えるからです。
「まえがき」に代わるのは、この「青春と読書」誌上で、病のゆえにたった2回しか連載できなかった「若き友人への手紙」です。これが事実上の筑紫さん71歳の絶筆です。
若者に語りかける71歳の筑紫さんと、必死に青春を生きようとしてもがいている16歳の筑紫少年が、本書の最初と最後に顔を見せます。それが、少し切ない…。
(鈴木 耕)
ご意見募集