「勝手にしやがれ」「津軽海峡・冬景色」「北の宿から」「UFO」など、1970~1980年代を中心に数々のヒット作を生み出し、生涯で実に5000曲もの詩を書いた稀代の作詞家、阿久悠(2007年8月没)が自らの作詞法を語った本である。
私が本書を手にとったのは、作詞家を目指そうと思ってのことではない。タイトルを見たとき、頭のなかに数え切れないメロディが浮かんできて、思わず買ってしまったのだった(昭和50年代以降に生まれた人にはぴんとこないかもしれないが)。
阿久悠は歌詞を書く際、それを歌う歌手の個性をどうやったら引き出せるかと同時に、時代の求めるものは何かを考えた。たとえば尾崎紀世彦の「また逢う日まで」は、男に別れを告げられた女の哀歌が多かった時代に、「2人がともに住み慣れた部屋を去る」という世界を描いて、大ヒットしたのである。
阿久悠が歌詞をつくる際に必ずやることのひとつは、歌に登場する人物がどういう人生を歩んで、いまにいたったのかをストーリーとして思い描くことだったという。たとえそれが歌詞に反映されなくても、そこまで作り手が考えることで、聴き手のイマジネーションを喚起できると考えたからだ。
その一方で「ピンポンパン体操」など、いま聴いてみると、そのシュールさにぶっ飛ぶような作品も少なくない。阿久悠の並々ならぬプロ意識の表れである。
才能あるシンガーソングライターが続々と登場し、「Jポップ」というジャンルが確立して以降、「歌謡曲」という呼称が使われなくなった。作詞家、作曲家、歌手のコラボレーションが少なくなるとともに、「負けない」「泣かない」「がんばろう」「素晴らしい」など人生応援歌というか、抽象的な掛け声が中心となった歌が増えた気がする。
世代横断的なヒット曲が少なくなったのは、社会が成熟した証しかもしれないが、歌詞の世界が内に閉じてしまっているようにも見える。
もっとイメージを広げたい。
平和や反戦を考える際にも、阿久式ヒット・ソングの技法は応用可能だと思う。たとえば「丸腰で敵に攻められて、女性が強姦されても、黙って見ていろというのか」などと言われた場合を想定してみる。それに対して、平和の尊さや戦争の悲惨さを訴えても、分が悪い。相手がネガティブ・イメージでくるなら、こちらはピースフル・ストーリーをつくってみる。一人、一人が大切だと思っているもの――自然、仕事、音楽、スポーツ、なんでもいい――と結びつけて、自分なりの物語を描く。あるいは中村哲さんや伊勢崎賢治さんの活動をじっくり咀嚼してみる。それができると、楽しくなる。楽しくなると、続けられる。
ちなみに日本で一番たくさん歌詞を書いた阿久悠が、山口百恵とは縁がなかったという。どうしてだろう?
(芳地隆之)
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